毎度おなじみゴッタンの謎に挑む連載の続きです。
これまで
■ ゴッタンは「ベトナム語 ゴー(板・木材)+ダン(弾)」ではないか?
ということで謎を解く鍵はベトナムにあるのではないか?と考えていましたが、少しそれを裏付けるような話が出てきました。
飯田さんという方がまとめている内容がとてもわかりやすいのですが、
http://www.yo.rim.or.jp/~kosyuuan/kosyuan/iida/iida18.htm
「琉球音楽史略 山内盛彬」のまとめとして
■ 日本形と琉球の御座楽の三絃は共に中国(支那)系統
■ 琉球の民間形三絃は公式輸入より古く、安南シャム辺りの輸人
■ 蛇皮は福州を経て来るが安南産である
■ 黒檀の用材も安南と同じく棹が短いのは輸入後の改良
■ 三絃は中国では合奏楽器であるが南方と琉球では独奏にも使う。
という点を挙げておられます。
この安南というのがベトナム北部から中部を示すエリアで、唐の時代の「安南都護府」に由来すると言うのです。
やはり蛇皮や黒檀を使うあたりが、沖縄三線と中国三弦の源流としてベトナム方面を想定するのは自然な流れのようです。
山内さんは「棹が短くなったのは輸入後の改良」と考えておられますが、当方でもまったく合意します。
もう一つ興味深いのは、1720年に琉球へ行った中国人(冊封副子徐葆光)が
「三絃柄北中国短三寸余」(中山伝信録)
と書き残していることで、これをそのまま読めば、中国三弦より沖縄三線の棹は3寸(約9〜10センチ)短い、としていることになります。
この記述について宮城栄昌さんは「琉球使者の江戸上り」において、中国三弦を「三尺位」系統と想定して、それより3寸短いと考えています。
(そうすると2尺7寸程度になるでしょう)
また田辺尚雄さんによると(「三味線楽起源と伝来」)
「赤犬子が普及に携わった点と、”琉球人は正座する為に腰かけて奏する支郡の三絃の棹を3寸程短くし、自国風に消化した点」
について言及しているようです。いずれにしても三線の棹が短くなったのは、沖縄にやってきたから、ということが興味深いわけですね。
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そうすると棹の長さを勘案して、本州の三味線は、沖縄を経由したかもしれないけれど、やってきたのは基本的には「中国三弦」であったと推測してよいと思います。
短くなった「沖縄三線」が本州へ行ったわけではなく、「3尺くらいの長い蛇皮三弦」が、琉球にも来たし、本州へも行ったと考えるのが自然と思われます。
つまり、沖縄三線は、「本州三味線の先祖」ではなく、中国三弦という親から同時に分かれた「きょうだい」だということです。
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