2024年1月8日月曜日

三線や三味線が「相対音」楽器である理由を考察する。

 

 さてみなさんこんにちは。


 「三線が短い理由」について考察した前回の記事を読んでくださった方から、質問があったのでそのテーマについても考えてみたいと思います。


 質問の趣旨は、「三線などの楽器は、チューニングが変動する楽器だが、チューニングが固定との楽器との違いをどのようにとらえるか」というものでした。


 もう少し簡単に言えば、たとえばギターは「ミラレソシミ」固定であったり、ピアノや笛はチューニングを変更できず、調が固定だけれど、三線や三味線はその都度「調を変えることができる」という特徴があり、実際そのように演奏されています。


 この絶対音な楽器と相対音な楽器の関係をどう捉えたらよいか、ということだと思います。


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 結論から先に言ってしまえば、西洋音楽や近現代音楽が「科学的に安定」してきて以降は、「絶対音」が優勢になっていますが、


 すべての楽器は相対音からはじまった


と言っても過言ではないと思います。つまり、調の移動や、チューニングの変更は「当たり前」という考え方がベースにあって、そこから「標準化、基準化してゆこう」という動きへと変化してきたのではないか、ということになります。


 民族楽器を研究しているデータを見てゆくと、そのほとんどは「相対音」で拾い上げられています。東洋系のリュート属などの研究では、たとえば「馬頭琴」やら「ドンブラ」やら「中国楽器」やらがたくさん存在しますが、それらはかならず「弦の間は4度離れている」とか「5度離れてチューニングされる」という形で(現代の研究者からは)採譜されます。

 つまり、「絶対音のド」である、というような固定化された音の関係は民族楽器には存在せず、相対音としての音階ばかりである、ということになるでしょう。


 また、西洋系の代表のように思われるギターのチューニングも、実はロックやブルースでは変則チューニングが多用されます。ウィキペディアの「ギター」項だけでも10種以上のチューニング大系が記載されているほどです。


 さて、調弦が「科学的に安定」であるとはどういうことでしょうか。


 それはピアノの先祖であるチェンバロについて書かれた以下の記事を参考にすればわかってきます。


チェンバロと調律

http://www.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/smh/sumaho/chembalotochouritu.htm


 この記事を読むと、チェンバロが構造的に不安定であり、下手すると「毎日チューニングしなくてはならない」ような楽器であることがわかります。また、調律の方法も、いくつかの種類があることが読み取れるでしょう。


 ということは、現代ピアノや現代ギターのように、絶対音で固定でいられる楽器というのは、「構造が科学的に安定してきてこそ成り立つ」、ということで、民族楽器レベルの精度では、絶対音を維持することは、そもそもできない、ということが想像できるわけですね。


 したがって、基本的には人が楽器に対して設定してきたチューニングは「相対音階による調弦」であったと推察できることになると思います。


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 さて、それでは三線や三味線に立ち戻って、中国系の音楽からこの問題を再考してみます。


雲南省納西族の音楽とその工尺譜の研究(九州大学・矢向正人)

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2794901/p045.pdf


によると、


■ 工尺譜は 楽器の指使いを示す譜であった(タブ譜)

■ よって 音階 そのものというよりは、元々は指使いのポジションであった。

■ しかし、実際には音階を示すようになり

 合 四 一 上 尺 工 凡  六 五 乙 イ上 イ尺

 ソ ラ シ ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド  レ

の関係になった。


 ということが示されます。


 これと三線工工四を比較してみると面白いことがわかります。


工 五 六 七 八

ソ ラ シ ド レ

四 上 中 尺

ド レ ミ ファ

合 乙 老

ソ ラ シ


ですから、


■ 合を低いソと捉える考え方は残っている

■ それ以外はバラバラ


ということがわかります。そりゃあ、個別の楽器のタブ譜なのですから、厳密には音階ではなく勘所位置を示すだけなので、バラバラになって当然ですが、逆に「合」は古いスタイルが残っているということが興味深いですね。


 そこで「なぜ合だけは、低いソという考え方が残っているのか」という点を調べてみました。


 月琴の弾き方

 http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2012/01/post-2edc-1.html


 には興味深いことが書かれています。


『明笛などが加わって清楽オーケストラとなるときは,明笛の指孔を全部塞いだ音(合:ホォ)に高音弦を合わせますが,自分の声や誰かの歌に合わせるようなときは,「間が5度もしくは4度」にさえなっていれば,低音が「ド」である必要はありません。』


 合奏の際には音を共通化して合わせる必要がありますが、その場合はたとえば「明笛」を基準として、全部の穴を押さえた音を「合」とする、というのです。


 なるほど、科学的に不安定な楽器しかできない状況で、「笛」を基準にするというのはかなり正確です。現代でも三味線、ギターのチューニングに「調子笛」を使うことを考えれば、とても合理的な考え方だと言えるでしょう。


 これは確認したわけではありませんが「合」とはつまり「合わせる音」というような意味だったとしたら、とてもおもしろいですね!


 加えて月琴でも歌い手に合わせて相対音階でチューニングすることが示され、これは三線や三味線とおなじです。


 余談ながら、科学的と思われている「西洋楽器」の世界でも、「実はめちゃくちゃいい加減」であることを示す証拠があります。

 私達は絶対音にとらわれていますが、やはり西洋人とて民族的な緩さがベースにあるので、「いい加減さ」が残ってしまうのです。


 その証拠は、


移調楽器

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%BB%E8%AA%BF%E6%A5%BD%E5%99%A8


というものです。


 これはどういうことかというと、管楽器は長さを変えればいろいろなバリエーションが増やせるのだけれど、穴と指の関係はおなじなので、弦楽器でいうところの「カポ」をつけたかのように演奏できることになります。


 つまり長い笛も、短い笛も押さえ方はいっしょ、ということです。


 そうすると楽譜上はドレミで書いてあっても、そのとき使う楽器によっては「実際に出ている音がズレている」ということが起きます。


 記事にはたくさんの表があり、「ズレている楽器一覧」がものすごいことになっていますが、厳格なように思われている西洋楽器やオーケストラであっても、実際には「ズレを吸収しながら、やっとこさ合わせている」ことがわかります。


 つまり、もともとそれぞれの楽器は「バラバラ」だったということになるわけですね。


 というわけで、再び結論です。


 すべての楽器はそれぞれ「てんでバラバラ」に発達してきて、文化文明や科学が発展してくるなかで「標準化されてきた」というのが正解だと思います。


(おしまい)



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 <三線についての補足>


 明清楽において、中国三弦にカポがついていることが発見されたわけですが、その理由はおそらくは「移調」のためではなく、「指固定」のためではないか?と思います。


 もともとリュート系弦楽器はチューニングが容易で、キーを上げたいだけであれば糸を巻き上げればいいだけなのだけれど、(あまりにも高音だと糸が切れるので限界はあるが)逆の考え方をすればハイキーを出したいのなら棹を長くしてポジション間を広く取るのが正解だと考えます。


 実際に本州の三味線が長くなったり、ベトナムのダン・ダイが長いのは高音を出すためでしょう。


 ということは三弦にカポをつける理由は、おそらく高音を出したいのではなく、指を固定して弾くためであろうと推察します。


 その意味では阮咸や秦琴・月琴系に対して「なぜ三弦は指固定にしたかったのか?」というそこの差異が謎だということになるかもしれません。






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