2007年10月13日土曜日

【三線ism】  薬指のお話 ~伝統とはなんぞや~



 さてみなさんこんにちは

 先日からのソフトウエア談義の発展ですが、今日は伝統とか流派とか、そういうことについて考えてみたいと思います。

 実は、youtubeの映像を見て「左大文字流で三線をやってみたい」という方から連絡をいただきまして、たいへん嬉しい気持ちになると同時に、ちょっと思うところがあったのです。

 というのも、「三線をやりたい・習いたい」ということは簡単なことのようでいて、実は難しい問題もあるのです。

①三線という楽器に興味がある
②沖縄民謡に興味がある

ではニュアンスも違います。

それは、

①ビギンや夏川りみさんの曲とか弾いてみたい
②沖縄民謡を弾いてみたい

の違いにも近いかもしれません。

 というのも、ポップスや自分の楽しみとしての三線や民謡(に近いもの)は比較的自由なのですが、「きちんと学ぶ」となると、それぞれの流派の伝統やしきたりなどがあって、ある程度「こうしなさい」とか「こうすべき」という制約が生まれてくるからです。

 その一番簡単な例が「薬指」を使うか使わないか、という問題ですね。


 沖縄民謡で三線を弾く場合、薬指は使わないし、いろんな教本や先生や、ネットなどでのアドバイスでは「あなたが沖縄民謡をきちんとやりたいなら、薬指は使ってはいけません」というニュアンスでかならず教えられるのです。


 逆に、邦楽の「三味線」を弾く場合、これは薬指のテクニックが必須です。使わなければ、特定の音が絶対に出ないし、絶対に使うべきものでもあります。


 さて、左大文字流では?となるとこれは「使わなくても可能ですが、使います」という回答になります。

 ここで、やっぱり伝統と流派の制約がひっかかるのです。

 左大文字流や邦楽から沖縄民謡に入ろうとすると、きっと「薬指つかっちゃだめだよ」と叱られることでしょう。逆に三線をやっていて左大文字流で弾こうとすれば、「え?薬指使うの?」と違和感を覚えたりすると思うのです。


 弾く音楽にあわせて使い分けられればよいのでしょうが、人間体で覚えてしまうものは、なかなか正せませんよね。難しいところだと思います。


 じゃあ、なぜそういう制約があるかということですが、これは「試行錯誤のすえのその音楽における『合理性』に起因します。

 簡単に言えば、昔の人がいろいろやってみて、それがいちばん楽だったりうまくいったり合理的だったからそうしたのです。

 これは三線もやるし三味線も弾くし、どちらも作ったことがある人間だから、なるほどとわかることなのですが・・・。


 詳しい証明をすると、こうなります。

①実は沖縄の三線で薬指を使わないのも、本土の三味線で薬指を使うのもまったくおなじ原理・原則が支配している。

②沖縄の三線は音階とと三線の勘所の関係が密接で、沖縄音階を演奏する際に複雑なポジション移動を必要としないため、三本の絃とも基本的にはおなじ位置をおさえれば音階になる。

③本州の三味線は音階とポジションが関連しておらず、なおかつ中国や沖縄の三線よりも棹を長くしてハイポジションまで弾けるようにしてあるので、左手は上から下まで幅広く動かす。

④ということは、三線では左手の位置を基本的に固定し、三味線では左手は自在に動かすことになる。

⑤ここで、両者に共通している原則があって、「となり合う指」を使わないというポイントがあります。

⑥これはちょっとわかりにくいのですが、三味線では、人差し指を基本にして棹の上下をスライドしてゆきます。このとき、ハジキや絃を打つという装飾音を用いることがあるのですが、この音を出すには、人差し指を基本としたときに、となりの指である「中指」を使うと物理的に苦しい(あるいはチカラが入らない)ので「薬指」を多用することになるのです。  

⑦おそらくこれと同じ原理で、三線は中指が基本になっており、となりの「薬指」を使わないで「小指」を使うことになるわけです。

⑧もっと詳細に検討すれば、弦に対する指の角度の問題や、押さえる指の力学的な問題もあるのかもしれませんが・・・。

 ということはこれは、その音楽ジャンルや楽器特性の必要性から合理的に生まれたことであって、伝統とはつまり「合理的なこと」「そのほうがやりやすい・楽なこと」の集大成だともいえるのです。


 翻って左大文字流は、なんてったってできたてホヤホヤの流派ですから、まだまだこれから「こうしたほうがいいぞ」とか「このほうが合理的」なことがたくさん見つかるはずです。


 でもまあ、三味線でいうハジキやクラシックギターとおなじような運指をする左大文字流にとって、薬指は「使う」ものなんですがね(笑)


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