2024年1月1日月曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む07 ごったんは「どこの」楽器なのか?

 

 さてみなさんこんにちは。


 謎が謎を呼ぶ展開が続き、完全に沼にハマってしまっているようなこの連載ですが、それでも少しずつ、絡んだ糸がほぐれるような、そんな気持ちも生まれてきている今日このごろ。


 前回までのお話で、沖縄三線や奄美三線との比較も踏まえて、「ゴッタン」の中心部分に「ジャンカジャンカ」の音楽があり、それは沖縄三線とも奄美三線とも、本州の三味線とも「違う」というところまでたどり着きました。


 そこで今回は、「ごったんはどこの楽器なのか?」という次の謎に向かって、ゆるゆると歩みを進めて見たいと思います。


 どこの楽器か、という問いは、ときに重大な事実を浮かび上がらせます。


 面白いことに「奄美三線」の歴史を見てゆくと、興味深い事実が浮かび上がってくるのです。


https://kyanma.com/music/amami-roots.html


上記記事には、いくつかのポイントが載っています。


■ 奄美三線が普及するのは戦後である。沖縄から持ち込まれた。

■ 三線を持てるのは、金持ちであった。

■ 奄美本島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島のうち、前の3島は日本音階である陽音階、後の2島は琉球音階。


https://amami-horizon.com/culture/island-song/about-island-song


また、他の記事ではいくつか補足的事項がわかります。


■ 本来、奄美や沖縄における楽器は「太鼓」であり、三線はあとから入ってきている。

■ 沖縄同様、奄美でも本来は男性中心の楽器で、女性が弾くのは最近になってから。

■ 島唄は形式上は「琉歌」であり8886。それなのに音階は本州式。

■ 7775形式の近世小唄が、後で入ってきており、その代表が「六調」


https://sakai-sanshin.com/sanshin/okinawa-amami.html


■ 奄美では戦後、本州の三味線もさかんに演奏されていた。

■ その影響もあって弦が黄色。


https://www.nankainn.com/news/local/%E5%B9%BB%E3%81%AE%E4%B8%89%E7%B7%9A%E3%81%AE%E9%9F%B3%E8%89%B2%E3%82%92%E6%8A%AB%E9%9C%B2-%E5%A5%84%E7%BE%8E%E5%B8%82%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E5%B3%B6%E5%B2%A1%E3%81%95%E3%82%93


■ 徳之島の最古の三線は、文政8年に「渡慶次」氏によって作られたものを、旧阿権村(現・伊仙町阿権)を治めた尚(たかし)家の2代目直富が沖縄・首里を訪れた際、もみ30俵で買った品


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 これらを総合すると、奄美の三線は、やはり沖縄三線を持ち込んで、少し改変したものだとわかります。

 音楽的に本州の音階であったため、それに寄せる工夫がなされたと考えられるでしょう。


 さて、今日のテーマである「どこの楽器か」についてです。沖縄三線と奄美三線が、基本は同一であることが判明したので、どちらも共通して考えればいいのですが、三線という楽器は「琉球黒檀(黒木)」の棹に「イヌマキ(チャーギ)」の胴、それにニシキヘビの皮を張ることで構成されます。


 この構成は、木材こそ沖縄で採れますが、ニシキヘビの皮は確実に輸入に頼ることになります。つまり、琉球王朝時代においても現在でも、「交易」なくしては存在しないことになるのです。


 本州の三味線も、実は似たところがあって「紅木」「紫檀」「花梨」などで作られる三味線は、すべて南洋材であり、本州では採れません。低級な楽器としては「樫」で作られるものも多くありますが、基本はこちらも「交易」がなければ成立し得ないものだとわかります。


 このように「交易」がないと作れない楽器であるということは、「多数の人間が関わっている」ことを意味します。海外との交易においては、近世であれば幕府や王府の許可が必要であり、朱印船貿易ではないですが、「免状を持ったもの」が輸入してくる材料であることを意味します。


 材料が入ってくれば、それが流通し、楽器の作り手のもとへ金銭交換で届けられます。その材を「配送」する人間も存在していなければなりません。


 こうした「システム」との関わりは、それが「時の政府、公的な存在」によって認められている必要性を生みます。禁制の品であっては、海外から材を取り寄せることが不可能だからです。


 したがって、本州の三味線は「秀吉」が絡んでいたことも、沖縄三線は「琉球王朝」の公的楽器であったことも、そこにつながってくるのです。


 三線や三味線は、「公的存在が介在」しており、なおかつ「多数の人間がシステマチックに関わっている」ことが判明したのです。だからこそ、


『三線や三味線は、それぞれ定型化されたデザインが確立している』


ことがわかります。


 本州でも沖縄でも、本来これらの楽器のそれぞれの部位を作る職人は別々ですが、(棹と胴、皮張りは、店そのものが異なる)そうしたことが可能なのは、「規格が決まっている」からであり、それは「多数の人が関わって、分業やシステマチックに材料を準備することが可能だから」ということになるでしょう。


 この話こそが以前にお話した「天神がある」とか「乳袋がある」とかの形状に関わってくるのです。三線や三味線には、スタンダードな形状が確立されていて、多少の変化はあったとしても、全てはそれに倣って作られるから、秀吉の時代から現在まで形が同じ、ということが生じるのです。


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 それに対して、「ゴッタン」の形状は、かなり心もとないことがわかります。現存するゴッタンのサイズや寸法はバラバラで、「レファレンスモデル」のような規格化されたデザインがありません。

 角材と箱だけのものから、三味線を模したものまで、バラエティに富んでいるのがゴッタンの特徴ですが、これは「公的システムが介在していない」ことを意味します。


 王府も幕府も、この楽器には関わっておらず、権力者が絡んだことがない楽器だと推理できます。


 材料においても「杉」のみですから、縄文杉で有名な屋久島などではそもそも自生している材料で、「交易が必要ない」ことがわかります。


 いや、おそらく「交易を必要としない楽器」だったのではなく、「交易に絡めなかったから、杉だけで出来ている」のが正しい表現ではないでしょうか?


 つまり、ゴッタンは、「交易できない立場の人間が、作ったものだ」ということになります。それは、庶民中の庶民です。


 天神がないこと、乳袋がないことなどは、システム化された職人集団や楽器の規格がゴッタンに無関係だからなのではないでしょうか。もっと言えば、三味線や三線には存在する「装飾的デザイン」そのものが、ゴッタンには存在しないわけで、つまりは


『ゴッタンは素人が、見様見真似で作った楽器である』


ことを示してゆくのです!


 システム化された楽器製造をしていると、三線や三味線のように「より硬い木材」を求めて性能がアップしますが、杉は木材の中でも極端に「柔らかい」ほうの材質で、楽器には適しません。

(国内でいちばん柔らかい木である「桐」が、琵琶の表板として使われますが、本体は桑などが用いられます)


 ということは、ゴッタンは「楽器の性能を求めていない」楽器だということになります。


 だとすれば、何度も言いますが、この楽器は、おそらく「沖縄三線を見た誰かが、身近にあるもので、もっとも簡単に再現した、工作であった」のでしょう。


 まるで焼け野原の中で米軍のゴミから「缶から三線」が出来たように、「そこらへんにあるもので、三線みたいなのを作って弾きたい」という願望から出来た楽器だと推理するのが、一番合理的なのかもしれません。


 さらに言えば、沖縄から鹿児島まで「太鼓」文化があります。太鼓は皮張りですから、皮を張る技術は存在することになります。ということはゴッタンに皮を張ることは技術的には不可能ではないし、別に牛皮などのゴッタンが存在していてもおかしくはなかったはずです。

 しかし、実際にはそうしていない。

 ということはこの楽器には「皮張り職人が絡んでいない」ことをも意味します。あくまでも「木工作」だけを生業とする人間だけが、製造したことを暗示するわけです。


 大工や指物師が、沖縄の三線を知って、それを真似したもの、それがゴッタンの正体だと思います。

(古いゴッタンは竹釘で留まっているそうです。竹釘は檜皮葺や指物で用いますが、建築系の職人がゴッタンづくりに関わっていたことを直接的に意味します)


https://www.instagram.com/furudougu_and_record/p/Cf5RQvtLEn5/?img_index=1

(古いタイプの作例。竹釘が見え、棹は一木作り。本州の三味線は形状的に必ず「ニカワ」を使わねば作れない箇所があるが、ニカワを用いるということは当時の被差別部落におけるニカワ製造と密接に関わることになる。三味線の皮しかり。ニカワが流通し、それを使って作るというシステムに「乗っかった」上でないと三味線は作れないが、ニカワを用いないとなると、システムと無縁で作成することができる。

 余談ながら現在の沖縄三線は接着剤を用いるものの、本質的にはニカワを用いずに作ることができる。皮張り部分は本州のものでも餅糊である)


 面白いことに、「それを真似する人が、さらに増えた」ということです。今となっては、どこが、どれがオリジナルの「ごったん」だったのかはわかりませんが、そういう地場文化的に広がったのが、この楽器の真実だったのかもしれません。


 さて、今日のテーマです。ごったんは「どこの楽器」なのか。


 材料はスギ一択です。このスギという植物は、実は「日本の固有種であり、日本原産」のような木材です。


 つまり、ゴッタンこそが、三味線系リュート属の中でも、純粋に「国産」の楽器である、ということになるでしょう。 


 「テコサンセン」(太鼓三味線)という言葉が薩摩に存在するように、「さんせん・しゃみせん」という語はちゃんと存在するわけですから、本来ならその影響を受けても良いはずですが、「ゴッタン」という完全に無関係な語がついている点も気になります。


 不思議なことながら「ごったん」は「さみせん、しゃみせん、さんしん、さむしる」などではいけなかったのでしょう。


 なぜか?


 謎はまだまだ続きます。


(つづく)





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