さてみなさんこんにちは。
最近の当ブログの記事は、「ゴッタン」関係が多く、今回はそのスピンオフのような感じで「沖縄三線」についてすこし発見したことをまとめようと思います。
いやいや、もともとが三味線や三線ブログで、ゴッタンのほうがスピンオフでは?というツッコミは無しで(笑)
実はゴッタンのルーツをずっと探っていて、中国の楽器、東南アジアの楽器などをしらみつぶしに当たっているので、その関係で当然「中国三弦」や「沖縄三線」との比較をしたり、関係を推定するような作業をずっと行っています。
そうした作業の途中で、「沖縄三線」の棹が短い理由がはっきり見つかったので、その報告となるわけです。
はてさて、本州の三味線は全長が約100センチ程度(正寸3尺2寸)、それに対して沖縄の三線は全長が78センチ程度と極端に短いのが特徴です。
そして、それらの原型である中国三弦の長さも、基本的には「長い」のがポイントです。
現代中国では「大三弦」「中三弦」「小三弦」という3パターンくらいのサイズがありますが、
■ 大三弦 全長120センチ
■ 中三弦 ↑↓の中間程度
■ 小三弦 全長90センチから95センチ
という関係性です。
中三弦は後代に出来た、というかバリエーションが増える中でそういう分類になったともされているので、「北方の三弦琴、三弦子はデカい」「南方の三弦琴、三弦子はちっちゃい」というのがベースになるでしょう。
ちなみに、三弦はベトナムにも広がっており、ベトナム三弦「ダン・タム」は、全長90センチ程度とのことです。つまり、南方の楽器ですね。
https://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_jiten_dantam.html
補足して、「ダン・ダイ」というロングネックの板三弦があるのですが、こちらは、ハイポジションにしかフレットがありません。つまり、そこだけを弾く楽器のようです。
https://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_jiten_dandai.html
ダン・ダイはかなり全長が長く、「ダイ」が長いという意味だそうですが、(南方のベトナムの楽器ではあるけれど)ハイポジション専用楽器として進化したのかもしれません。
さて、本筋に戻りますが、中国三弦琴にしてもベトナム系にしても、基本的には一般に90センチくらいの長さ、というのがこの楽器の特徴だといえますが、それと比較すると沖縄三線の76センチというのは
「めちゃくちゃ短い」
のが特徴ということになります。
おなじ源流を持つ本州三味線が100センチに拡大していることを考えれば、大三弦ほどではないにしろ90センチから100センチくらいがこの三弦子の基本形と言えそうですが、なぜ沖縄三線だけが短いのか、ということは
大きな謎
と言えるかもしれません。
以前に検証した私の記事にもありますが
https://note.com/sanshin_ism/n/n8c0483eb5e94
琉球王朝時代の尺がもう少し短ければ、もしかすると三線は75センチくらいだったかもしれず、それだと8割程度に「小さい」ことになります。
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以下はざっくりとした考え方ですが、基本は尺貫法で計算されるので、現代日本風に考えると
■ 日本 1尺=30.3センチ 1寸=3.03センチ
であり、本州三味線は3尺2寸、琉球三線は2尺5寸、小三弦は3尺と仮にみなすことができるでしょう。
余談ながら
■ 中国(唐) 1尺=29.6センチ程度(正倉院品より平均)
■ 中国(清滅亡後の造営尺・メートル法にちかづけた) 1尺=32センチ
■ 中国(現在)1尺=1/3m=33.3センチ
らしいので、メートル法と出会った時代のものは別としても、古代中国の尺は約30センチと考えてよさそうです。
その意味では、日本の尺貫法は意外と古代中国尺を律儀に守っているほうだと思われます(苦笑)
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さて、尺貫法のことは別にしても、沖縄三線が「意図的に、明らかに」小さくなっているのはなぜなのでしょう。これは楽器のバリエーションとか数値的誤差を飛び越えて「確実に短い」と言えます。
長年、その明確な答えは見つからなかったのですが、今回とある文献資料を通じて、謎が全て解けました!!
画像は「明清楽之栞」という明治27年に発行された文書です。
明清楽というのは中国の音楽で、江戸時代から明治にかけて日本でも大流行したのですが、日清戦争で清が敵国になった関係で急速に廃れていったものです。
その明清楽では、月琴やら阮咸やら、いわゆる中国楽器が山ほど使われるのですが、当然三弦子も登場します。それを解説した部分ですね。
この2枚の画像をみると、沖縄三線が短い理由がしっかり載っています。
それは、まず、本来の三弦はおそらく弦の全長を使って弾くのだろうけれど、「明清楽」の音楽との関係では、カポタストを装着して弾いていたことが描かれているのです。
「竿の上部に微枕あり その所に手指をあてるなり」
とあります。つまり、本来の上駒から離れたところに、「微枕」=カポ をつけているらしいのです。当然弦長はそこから下に向かってしか作用しません。
二枚目の画像にも、興味深いことが描かれています。
■ 微枕から2寸くらいのところからポジションがはじまる。
■ そこから「人差し指」「中指」「紅指」「小指」の使用が確定される。
この弾き方は、沖縄三線との繋がりをイメージさせます。沖縄でも、指は固定で、薬指は使わないものの、ポジションとの関係はこの明清楽の図とほぼおなじです。
調弦は二上がり指定。このあたりの音符の関係はもっと精査する必要がありますが、沖縄音階がレラ抜き音階なので、その関係で薬指は使わない可能性もあります。
だとすれば明清楽のポジションと同一の可能性もあるわけですね。
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では、このことを沖縄サイドから見るとどうでしょう。
工工四を発明したのは屋嘉比 朝寄(やかび ちょうき 1716年 - 1775年)で、当時の中国で使われていた工尺譜、唐伝日本十三弦箏譜、潮州の二四譜、 明清楽譜などの記譜法を参考に、足りないものを補って考案したと言われます。
当然、明清楽の影響を受けており、工尺譜をベースにしているので、画像でもわかるとおり、ポジションや楽譜の書き方は共通点が多いわけですね。
琉球の古典音楽(とくに宮廷音楽)」では、ふつうに中国の楽器が入ってきていますから、そこから沖縄三線が独自進化をしてゆく中で、
「どうせカポをつけるなら、そこから上は不要じゃね?」
という発想になるのは、ごくごく自然なことでしょう。
図を見ると、となりに描かれている阮咸では「ハイポジションまでびっしり勘所がある」のがわかると思います。なので、おなじような棹長さの楽器でも、こちらの阮咸は「指固定ではなく、どこまでも指をずらして弾いてOK」ということが判明します。
明清楽では、「ハイポジまで弾くのは阮咸」「指固定で弾くのは三弦」という棲み分けがあったのでしょう。
その影響を多分に受けているのが沖縄三線であり、それを現代でも「守っている」のが「工工四」の記載法であり、三線の演奏法、ということになるのでしょう。
そこで、結論です。
おそらく三線の原型は、中国三弦そのものですから棹が長かったと思います。
そして、初期には棹が長いままで弾いていたことでしょう。
しかし、途中で、三線は合理的に棹を短くしました。長い部分をどうせ使わない譜面であり、演奏法だったからです。
それは三弦に特徴的だった「指固定の演奏法」が根本的な理由だったと思われます。
今後の検討事項としては、三弦琴、三弦子が、「どの時代のどのジャンルにおいて指固定法だったのか」ということの分析が必要かもしれません。明清楽ではそうだった、ということがわかりましたが、それ以前の音楽や、三弦を使う別のジャンルの中国古典音楽でもそうなのか、というあたりがわからないからです。
(基礎知識として阮咸系の楽器が古く、三弦系の楽器は比較的新しいということもあります。また蛇皮を使うことからもわかるように、阮咸系が北方系で、三弦系は南方系という要素もあります)
今後の研究が進むと、たいへんおもしろいですね。
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追記
https://www.colare.jp/classic/695/
この方の記事はとても参考になります。ベトナムの三弦についてホーチミンのものも、ハノイのものも「カポ」が実際についていることがわかります。
https://www.vietnam-sketch.com/archive/special/monthly/2004/11/003.html
こちらの画像もよく見るとカポがついています。
三弦が長いまま使われる地方と音楽ジャンル、短くして使う地方と音楽ジャンルが存在する、ということです。
(おしまい)
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