2024年1月22日月曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む20 謎はベトナムにあり?! 三線との接点は?

 

 毎度おなじみゴッタンの謎に挑む連載の続きです。


 これまで


 ■ ゴッタンは「ベトナム語 ゴー(板・木材)+ダン(弾)」ではないか?


ということで謎を解く鍵はベトナムにあるのではないか?と考えていましたが、少しそれを裏付けるような話が出てきました。


 飯田さんという方がまとめている内容がとてもわかりやすいのですが、


http://www.yo.rim.or.jp/~kosyuuan/kosyuan/iida/iida18.htm


「琉球音楽史略 山内盛彬」のまとめとして


■ 日本形と琉球の御座楽の三絃は共に中国(支那)系統

■ 琉球の民間形三絃は公式輸入より古く、安南シャム辺りの輸人

■ 蛇皮は福州を経て来るが安南産である

■ 黒檀の用材も安南と同じく棹が短いのは輸入後の改良

■ 三絃は中国では合奏楽器であるが南方と琉球では独奏にも使う。


という点を挙げておられます。


 この安南というのがベトナム北部から中部を示すエリアで、唐の時代の「安南都護府」に由来すると言うのです。


 やはり蛇皮や黒檀を使うあたりが、沖縄三線と中国三弦の源流としてベトナム方面を想定するのは自然な流れのようです。


 山内さんは「棹が短くなったのは輸入後の改良」と考えておられますが、当方でもまったく合意します。


 もう一つ興味深いのは、1720年に琉球へ行った中国人(冊封副子徐葆光)が


「三絃柄北中国短三寸余」(中山伝信録)


と書き残していることで、これをそのまま読めば、中国三弦より沖縄三線の棹は3寸(約9〜10センチ)短い、としていることになります。


この記述について宮城栄昌さんは「琉球使者の江戸上り」において、中国三弦を「三尺位」系統と想定して、それより3寸短いと考えています。


(そうすると2尺7寸程度になるでしょう)


 また田辺尚雄さんによると(「三味線楽起源と伝来」)


「赤犬子が普及に携わった点と、”琉球人は正座する為に腰かけて奏する支郡の三絃の棹を3寸程短くし、自国風に消化した点」


について言及しているようです。いずれにしても三線の棹が短くなったのは、沖縄にやってきたから、ということが興味深いわけですね。


========


 そうすると棹の長さを勘案して、本州の三味線は、沖縄を経由したかもしれないけれど、やってきたのは基本的には「中国三弦」であったと推測してよいと思います。


 短くなった「沖縄三線」が本州へ行ったわけではなく、「3尺くらいの長い蛇皮三弦」が、琉球にも来たし、本州へも行ったと考えるのが自然と思われます。


 つまり、沖縄三線は、「本州三味線の先祖」ではなく、中国三弦という親から同時に分かれた「きょうだい」だということです。



2024年1月14日日曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む19 玩具としての木製三味線 ゴッタンはおもちゃか?

 

 さてみなさんこんにちは。


 ゴッタンの寸法について、悩みながら検証している最中ですが、


 ■ 沖縄三線の写しであれば最短で短い(2尺5寸)であることは頷けるが


 ■ それは沖縄三線が明清楽の影響を受けて短くなっているからで、


 ■ 薩摩の音楽が「指固定の演奏法」と関係ないのであれば、短い必要がない


 ■ なおかつ、渡来品の三弦の本来の長さは3尺であろうということから考慮すると


 ■ 短くないゴッタンがあってもよい


というあたりをずっと考察しています。


 ベトナム方面や中国南方から来る三弦琴は、おおむね3尺で、短いものはないわけですから、楽器の形態としては3尺のものがゴッタンに取り入れられてもよいわけです。


 ところが、多くの文献では「古いゴッタンはさらに短い」と書き添えてあることが多く、それは平原利秋さん所有の楽器でも、たしかにその傾向がありそうです。


 https://www.nishinippon.co.jp/image/10410/


 ただ、この考え方を挙げた時に「短いゴッタンは女子供のための、おもちゃ的なものである」という意見もあり、それを検証していました。


 すると、面白い話が見つかったのです。


「郷土教育の概覧」 昭和9年

徳島県女子師範学校・徳島県立徳島高等女学校郷土研究部 編


に添付のような記事があり、徳島県で「玩具として木製の三味線を作っていた業者があった」ことがわかります。


 この「木製玩具三味線」は徳島県に限らず、全国的なものだったようで、


「東京玩具商報」東京玩具人形問屋協同組合 昭和27年

にも



 玩具会社の広告として「当店独特の木製・三味線・太鼓各種取り揃えております」とあり、木で作った玩具三味線というジャンルがあったことがわかります。


 さらに面白いのは、

「玩具及人形類公定価格要覧」 東京玩具卸商同業組合 編 昭和15

には、この玩具三味線のサイズがはっきり示されていることでした。


 ここでは琴や三味線の玩具について示されますが、



木や紙などを使って作った「子供用玩具三味線」が

■ 1尺8寸

■ 2尺

■ 2尺3寸

などのサイズであることがわかります。


 (その多くが「布張りの胴当て」や「撥」を付属していることから、本州三味線を模したものともわかります)


 これらのデータからは「たしかに、玩具三味線というジャンルがあったこと」は伺えますね。


 そしてミニチュアではなく、長さが2尺前後ちゃんとあるので「子供が弾けるサイズ」だったこともわかります。


 たしかに、2尺5寸程度のゴッタンが「子供向けのおもちゃではないか?」と思われてしまうのも、おかしくはありません。


 最終的には、これらの楽器の形態が「どういう形状をしていたか」で話はズバッときまります。


 おそらくこれらの玩具三味線は「本州三味線の写し」でしょうから、海老尾やら乳袋やら、鳩胸猿尾やら、三味線の形状を模しているはずです。


 しかし、ゴッタンの本来の姿はそうした形状にはなっていないので、「まったく別の派生である」ということは形態からは述べることができると思います。


(つづく)



2024年1月13日土曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む18 ゴッタンが入ってきた経緯を探る

 

 さてみなさんこんにちは。


 前回は長年に渡る謎が「スッキリ」解決したような、ものすごい大どんでん返しでしたね。


 ゴッタンの語源は、おそらく「木弾」で「ゴー・タン」というベトナム語に関係がありそうだ、というオチでした。


 しかし、そうなると、再検討しなくてはいけないことが出てきます。それはいわゆる三弦の仲間ではあるものの、蛇皮三弦とは違う流入の仕方をしたのではないか、という点です。


 これまで、沖縄三線の変形だと考えていましたが、それも一度リセットしてよいかもしれません。


 沖縄に蛇皮の三弦が入ってきて、薩摩地方のどこかには「木弾」が入ってきた、とすれば別物の可能性もあるからです。


 同時に、南方の周辺国家についても検討してみました。東南アジアには現在


■ フィリピン

■ インドネシア

■ ベトナム

■ ラオス

■ カンボジア

■ タイ

■ ミャンマー

■ マレーシア


などがありますが、「ゴータン」がやってきたと思われるのはベトナムです。ベトナム以外には「ダン」系の楽器がほとんどなく、名称の関連性も薄いからです。


「ゴー・ダン」がやってきたとすればベトナムであろう、というのが第一選択なのですが、それでも気になる点があります。


 それは現在の言い方だと、ベトナムでは「ダン・ゴー」であること。むしろ「ゴー・ダン」であれば中国式になります。


 そしてその中国では「ダン(弾)」系の名称があまりなく「チン(琴)」系の名称のほうが強いことです。


 ということは、ゴーダンは、中国風でもあり、しかし言葉はベトナム語ということになります。ベトナムから直接やってきたというよりは、海運や通商などの間に、「越南と中国のはざま」を行き来しながら船に乗ってきたものと思われます。


 おもしろいことにベトナム楽器には2つの言い方があり、たとえば


■ ダン・グエット と グエット・カム  (弾月 と 月琴)

■ ダン・バウ と ドク・フイェ  ン・カム (弾瓢 と 独弦琴)


などですが、前者がベトナム風、後者が中国風と考えれば、とても納得がゆきます。 


 おそらく中国風とベトナム風のはざまで揺れ動きながら、これらの楽器が伝播したものと思われますね。


東アジアの国際関係とその近代化 朝鮮と越南  原田環

 https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/02-0j_j.pdf


の論文によると、清国を中心とする朝貢関係で言えば


「朝鮮・越南・琉球」の3つの国


が特別な地位を持ったことが示されています。もちろん、琉球は薩摩藩にも朝貢したわけですが。


 だとすれば薩摩に「木弾」が入った理由も頷けます。中国風になった越南の品が入る可能性が、最も高いからですね。

 (加えて、経由地としてやっぱり琉球が上がってきそうな気がします)


 これも参考として琉球における楽器の様子を見ると


http://kumiodori.jp/kumiorori/index.html


首里城での慶賀(ケイガ)や御冠船踊(カンセンオドリ)、または江戸上り(エドノボリ)の際に奏(ソウ)された室内楽(シツナイガク)を「御座楽(ザガク)」というが、それは中国の明・清楽系統(ミン・シンガクケイトウ)の音楽を奏するものであった。そのときの楽器には、弦楽器(ゲンガッキ)に瑟(ヒツ)、二線(ニセン)、三線(サンセン)、四線(シセン)、琉三絃(リュウサンゲン)、長線(チョウセン)、琵琶(ビワ)、胡琴(コキン)、揚琴(ヨウキン)、月琴(ゲッキン)、提琴(テイキオン)などがあり、打楽器に二金(ニキン)、三金(サンキン)、銅鑼(ドウラ)、三板(サンパ)、小鉦(ショウショウ)、金鑼(キンラ)、小銅鍵(ショウドウラ)、新心(シンシン)、両班(リョウハン)、韻鑼(インラ)、挿板(ソウハン)、ハウ子(ハウツ)、檀板(ダンバン)、相思板(ソウシハン)、着板(チャクバン)などがあり、吹奏楽器(スイソウガッキ)に篳篥(ヒチリキ)、半笙(ハンショウ)、哨吶(ソナ)、立笙(リッショウ)、横笛(ヨコブエ)、管(カン)、銅角(ドウガク)、喇叭(ラッパ)、洞簫(ドウショウ)、十二律(ジュニリツ)などがあった。また、琉球王国時代に中国から伝来した道中楽(ドウチュウガク)を「路次楽(ロジガク)」と称するが、それに使用する楽器には銅鑼(ドラ)、両班(リャンハン)、哨吶(ソナ)、喇叭(ラッパ)、銅角(ドウカク)、鼓(クウ)、新心(シンシン)などがあった。”


とあり、「二弦・三弦・四弦系楽器」や「琵琶・琴系楽器」は見られるものの「弾系楽器」は見られず、ベトナムから直接は琉球王国へ伝播はしていないと推測できます。


 とすれば、「弾」の流入は、公式なものではなく、漂着者などが持っていた等、イレギュラーなものであったかもしれません。


(御座楽では沖縄三線よりも大三弦・中三弦の使用が目立つ。


https://rujiuza.com/instruments/uzagaku/


もとの記事中に「琉三絃」とあるのが、いわゆる短くなったあとの沖縄三線かもしれない)





https://poste-vn.com/lifetips/vietnam-instrument-350


↑こちらのサイトでは、木製三弦である「ダン・ダイ」の音色が聞けます。棹が長いのはハイポジション中心に弾くからでしょう。


 また、いわゆる三弦である「ダン・タム」について棹が短いことが書かれています。動画で見る限りでは沖縄三線よりは長そうですが、現代ゴッタンくらいの長さなのかもしれません。


https://item.rakuten.co.jp/earthvillage/130019/


 現行品は全長90センチらしいので、まさに現代ゴッタンとおなじ。


 こうして考えると、ゴッタンはやはり「三味線よりは小さい」ということは確実でOKと思います。

 ただし古ゴッタンが2尺5寸などの「もっと短い」棹だった話は、オリジナルの「木弾」がどうであったかも考慮する必要があると感じます。

 沖縄三線との影響関係を探ってゆく必要があるでしょう。


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13110715153?__ysp=5rKW57iE5LiJ57eaIOOBquOBnOefreOBhA%3D%3D


によると古い沖縄三線の胴は、現在の80%くらい小さい、との話もあり、さらに謎が深まります。


 現在の三線胴は180ミリ程度ですから、それに80%を掛けると144ミリということになり、以前に紹介した平原さん所有の「現代ゴッタン」と「古ゴッタン」のサイズ比率とおなじくらい小さいことになります。


=======


 さらに、この記事を書いている途中で発見したのですが、(すでにアップ済み)、沖縄三線の棹が短いのは明清楽との関係が確実にありそうです。


 ■ ベトナム三弦はカポをつけて弾く

 ■ 明清楽三弦もカポをつけて弾く なおかつ指固定で弾く。

 ■ 中国三弦のオリジナルはカポをつけない。


 という関係性があり、沖縄三弦はおそらく時代的には三弦が入ってきて、工工四が整備される頃かそれ以降に、「短く製作された」可能性が高いと思われます。


 そうすると、考え方としては、


■ 古い時代のゴッタンがさらに短い、というのは沖縄三線の影響か(2尺5寸)

■ 三弦琴、三弦子の基本形からすれば90センチ寸法は”正しい”(3尺)


という2つの観点があることになります。


 このあたりを追求してゆけば、ゴッタンがやってきた時代や形状の考え方も整理されてくるかもしれません。


 音楽的には、少なくとも琉球宮廷音楽と薩摩民謡は直接的につながるわけではないので、


■ ゴッタンは指固定ではないだろう(推測)

■ ゴッタンと明清楽の関係は薄いだろう


と仮に考えれば、別に「短くする」必要はないことになります。


 そうすると、ゴッタンには「2尺5寸の三線を模したもの」と「3尺の三弦系のもの」の2パターンが混在していても、不思議ではないということになるでしょう。


 むしろ、指固定ではない演奏法からすれば、短い必要がなく、「ふつうの三弦系同様、3尺に近い」大きさであっても良いことになります。


 このことを確定してゆくには、やはり「ゴッタンの音楽性」に立ち戻る必要があるかもしれません。


(つづく)









2024年1月12日金曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む17 捨てる悪魔あれば、拾う天使あり!ゴッタンの語源に迫る!

 

 さてみなさんこんにちは。


 ゴッタンの語源に再び迫る新シリーズ! 前回登場したのは「ごふたん」という謎の言葉でした。


 南方系の言葉で「ゴータン」だと推定される名詞が、ゴッタンにとてつもなく関係する?という恐ろしい話でしたが、ひらめいてしまったかもしれません!!!


 まさに、悪魔の証明からの復活大逆転劇でございます!


 三弦を始めとする中国系楽器は、中国各地から関連地方に広がり、当然ながら日本にまでやってきています。そこで雲南省や貴州省などの少数民族の楽器までしらみつぶしに探したのですが、鳥集忠男さんの言うところの「グータン」は見つからなかったのでした。


 基本的に、中国の楽器で三弦のものはすべて「三弦」です。(秦琴や、月琴、阮咸などはもちろんありますが、三弦派生の楽器はほとんど三弦に近い名称がついています。


 したがって「グータン」が存在するとしても、なぜ「三弦」から離れているのか、よくわからない、という点が問題でした。


 ところが東郷町の方言辞書では「ゴータンサンセン」なる語を挙げています。これは、あくまでも三弦の一種でありながら、それを形容するなら「ゴータン」であることをイメージさせます。


 ちなみに余談ながら、中国の「三弦」は「サァン シィェン」に近い発音だそうで、その意味では「さんしん」はいいところをついている感じがしますね。



https://ja.bab.la/%E7%99%BA%E9%9F%B3/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E/%E4%B8%89%E5%BC%A6%E7%90%B4 


↑で現地の発音が聞けますが「サンシンチン」と言っているように聞こえます。(三弦琴)


 さて、本題です。


 私は中国の秦琴も持っているのですが、秦琴、三弦、月琴、阮咸などはそっくりそのままベトナム楽器になって、あるいは2弦に減って伝播していることが知られています。


https://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_zukan_vietnam.html


ベトナムの楽器は、↑など多数のサイトで見ることができますが、


ダン・グエット ダン・セン ダン・タム


など、「ダン」がつく楽器が多いことが特徴です。


ちなみに


■ ダン・グエット グエットは月を表すので、月琴

■ ダン・セン センは蓮の花 オリジナルは中国秦琴(梅花秦琴)なので、花の形

■ ダン・タム タムは「三」つまり三線

■ ダン・ダイ ダイは「長い」つまりロングネックの弦楽器

■ ダン・バウ バウは瓢箪(ひょうたん) ひょうたん型の一弦琴


という感じです。


 すでに勘の良い方は気づいたかもしれませんが、ベトナム語と言いながら、中国文化の影響を多大に受けていますから、実は中国語であり、漢字です。


 日本語でもかなり意味が通じます。


■ 弾月 だんぐえっと だんげつ(日本語風読み)

■ 弾蓮 だんせん 

■ 弾三 だんたむ だんさん

■ 弾長

■ 弾匏 (匏はウリなどの仲間)


■ 弾箏 ダン・チェイン というのもあります。日本語風だと だんきん


 さて、これだけ「ダン」が続くと、「ダンが弾である」ことは納得できますし、なんとなく


「ゴッタンのタン」


が関係あるのではないか?と思ってしまいますよね。


 鳥集説でも「古弾(グータン)」でしたから、タンは弾である可能性が高くなってきました。


 では。「ごふたん」とはなにか。


 たんが「弾」だと仮定すれば、ベトナム語における「ゴー」が何かを調べたらよいことになります。


 で、調べたら恐ろしい結果が出たのです!!!


 なんと、ベトナム語で「ゴー」は


https://vjjv.weblio.jp/content/%E3%82%B4%E3%83%BC


「木、木材」


なのです!!!!


 おっそろしいほど、そのものズバリの回答ではないですか。


 こんなにスキッとつながることがあるでしょうか!!



 つまり、ベトナム風に名前をつけるならば「弾木」(ダン・ゴー)であり、中国風に入れ替えれば


「木琴 (木弾・ゴーダン)」


でもあることでしょう。(けして ”もっきん” ではない)


 これで、鳥集説が発せられるかなり前に、東郷町の方言辞書が「語源は南方系」と書いた意味がわかるというものです。


 ベトナムだけに限るものではありませんが(なぜなら、越南語も中国語の影響下にあるから)南方系中国方言としてゴー・ダン(ごふたん)があり、それが音便化して「ゴッタン」と変化していったと考えれば、自然です。


 当時のベトナムなどに固有名詞としての「ゴー・ダン」が存在していたかはわかりません。しかし、「ゴーな、ダン」(木の弦楽器)という言葉はあったと思います。


 基本は中国語なので、特段不思議なことばではないからです。


(苗族に「古瓢琴」があったり、「弾琴」があったりしたことは、この中国系「琴」の使い方と、ベトナム系「弾」の使い方の接点としておおいに納得できます)


  ちなみにベトナム語では「cay 」という語も木を表すのですが、cayがどちらかというと生木や植物としての木を表すのに対して、go は木材や材木に近いようです。


 そのことも「板三線」の意味に近いと思います。


 というわけで、左大文字的結論は、


「ゴッタンは 木弾(ゴーダン) であった!」


ということになりそうです。


 しかし、ゴクタンなどの語も多数見られるので、ゴーダンの意味がわからない中で「ゴク」系の硬い印象の言葉と融合した可能性もあると思います。


 その意味では、「ごったましい」系の語源も、あながち否定するには早いと思います。


 (つづく)










2024年1月11日木曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む16 ことばの悪魔は復活するのか?ゴッタン新・新説の登場!

 

 さてみなさんこんにちは。


 ゴッタンの語源については、左大文字なりに「解決した」はずでしたが、なんということでしょう。悪魔の証明のように「古弾の存在がない、ことは証明しようがない」ということでしたが、


 なななんと、その悪魔が復活したのでございます!!!


 まさに謎が謎を呼ぶ展開ですが、真実はいつもひとつ!じっちゃんの名にかけて!が合言葉ですから、どんどん深みにハマってゆきましょう。


 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/306305/


 鳥集忠男さんが「ゴッタンは古弾である」説を唱えたのは、1987年のことだと西日本新聞は書いています。

 ついでにウィキペディアでは

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%B3

「花和尚訪中記」での記述についても触れています。この文章が発表されたのが1987年なので、「古弾(グータン)」説はここから始まったと言ってよいでしょう。

(季刊南九州文化第31−33号に収録)


 ところが、いつものように古い文献を調べていると、とんでもない記述が見つかりました。


 それは、「東郷町郷土史」という鹿児島県東郷町で1969年に刊行された資料にかかれているのです。

(いまの薩摩川内市)


 まずは、その生写真をみてみましょう。



■ ごふたん 板三味線 ごふたんさんせん 語源は南方系



 いままでの発音では「ごくたん」「ごきたん」「こつた」などが登場しました。ゴッタンは、促音便形でしたが、「ごふたん」は、ウ音便に近い発音です。


 旧かなづかいなので、発音を現代に直せば「ゴータン」ということになるでしょう。


 恐ろしいのは、添え書きに「語源は南方系」とあることです。


 南方が即、雲南省を示すわけでもないし、「ゴータン」が「グータンという同形状の楽器」を示すとは限りませんが


 何かある、そこになんかある?


のは、じわじわと伝わってくるのではないでしょうか。


 興味深いのは「ごふたんさんせん」とも書かれていることです。これだと、何度も検討してきた中国の少数民族の楽器が「三弦」であることと矛盾はしません。


 サンセン系の楽器があり、その中で「ゴータン」な「サンセン」がある、というニュアンスで理解することができます。


 ただし、これだけでは


■ 分類上「ゴータン」な「サンセン」が存在する

のか

■ 「ゴータン」という形容詞がつけられるような「サンセン」が存在する

のか

それ以外なのか、よくわからないことです。


 しかし、鳥集説に遡ること18年前に「ごふたんは南方系のことば」と書いている辞書があることは注目に値します。


(もちろんそれが楽器を示すかどうかも、現段階ではわからないのですが、なにせ、ある三弦がゴータンなことは伝わります。なにがどうゴータンなのかはわかりませんが)


========


 さて、不思議なことに東郷町の方言辞書では、「ごくろし」系のコトバや「ごく」系の単語は収録されていませんでした。

 また「たん」「たんこ」系の言葉もありません。

 一点気になるのは


■ くいたん 背板・製材の際に出る用材にならぬ部分


という語があったことです。ネットでは


https://kagoshimaben-kentei.com/jaddo/%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%93/


「刳(く)り端(たん)」の転訛か?


とあり、端の意味が強めですが、「たんこ」系の言葉と関係があるのか、気になるところですね。


 さて、何はともあれ、「南のほうに、ゴータン」があるらしいことがわかりました。


まるで西の方である天竺を目指す西遊記のようになってきましたが、南の方に一体何があるのか!ゴータンとは何なのか?


 謎はまだまだ続くようです。


(つづく)









2024年1月10日水曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む16 古ゴッタン写真一覧

 

 現代ゴッタンではない「古いゴッタン」の資料写真を引用元を明記の上紹介してゆきます。


 年代順 


■ 佐多岬 野田千尋  南日本出版文化協会 1966



(大泊での写真 女性が演奏している。三味線撥を用いていることがわかる)


■ 民謡のふるさと : 明治の唄を訪ねて 服部竜太郎  朝日新聞社 1967


(これはイラストだが、原写真がある<南日本風土記にオリジナル>ので掲載)


(大隅大泊での写真 演奏者はゴッタン・太鼓とも女性)
(おなじ写真は、「民謡紀行全集 第3」服部竜太郎 1962・「日本の民謡」服部竜太郎 角川新書 1964 にも登場)


■ 霧島山麓(姶良郡北東部)民俗資料調査報告書 鹿児島県明治百年記念館建設調査室 1972


(牧園町の板三味線 全長85.5センチ 胴長18センチという。現代ゴッタンが全長92センチ程度であることを考えると、かなり小さいが、沖縄三線より大きいことがわかる。所有者はやはり女性)



■ 西日本民俗博物誌 下 谷口治達  西日本新聞社 1978


(見えづらいが、このゴッタンの天の部分は、直線型で中国三弦のような形状にも見える)



■ 生きている民俗探訪鹿児島 下野敏見 第一法規出版 1979.1


(荒武タミさんを取材したもの。糸巻きが短い)


■ 南日本風土記 第三版 川越政則 鹿児島民芸館 1983.3


(1つめの写真とおなじゴッタンかどうか不明)


■ 大乗 : ブディストマガジン 42(1)[(488)] 大乗刊行会 1991-01



(ゴッタンを弾く鳥集忠男氏 楽器は荒武さんから譲られたものだろう)


■ Latina = ラティーナ : 世界の音楽情報誌 (468) 1993-02



(1992年 アジア民族芸能祭でゴッタンを弾く鳥集氏 楽器は新しいものか)




2024年1月9日火曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む15 ゴッタン製作者一覧(判明分)

 

 ゴッタン製作者として判明している分、あるいはゴッタン製造業者として判明しているものを仮に一覧としてまとめておきます。


(最終更新 令和6年1月)五十音順 敬称略



<薩摩・大隅・日向>

■ 上牧正輝 (宮崎県三股町) 美木工房 黒木俊美氏の弟子

■ 黒木俊美 (宮崎県都城市山之口町) 宮崎県伝統工芸士 

■ 新馬込(しんまごめ)速 (鹿児島県鹿屋市串良町) 南日本新聞S53.1.1掲載

■ 千年工芸 (鹿児島市鴻池町) 屋久杉を扱う店だったが、昭和期にかなり多くのゴッタンを製造している。

■ 平原利秋 (鹿児島県曽於市財部) 大工からのゴッタン製作者

■ 宮原良信 (宮崎県えびの市中上江) 木工所勤務からのゴッタン製作 「えびのゴッタン」の製作者



<他地域・レプリカ>

■ 小坂弦楽器工房 (京都府船井郡京丹波町) 現代ゴッタンの作例 弦楽器製作者

■ 左大文字堯司 (兵庫県丹波篠山市) 木製三味線製作者・講師等 ゴッタン作例




2024年1月8日月曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む14 補遺 中国に「板三味線」がいっぱいある件

 

 さてみなさんこんにちは。


 前回の話の続きです。


 中国では「古弾」という楽器より、はるかに三弦が多く、それは雲南省や貴州省などの少数民族においても「おなじ傾向」にあることがわかりました。


 ましては古弾という楽器は見つからず、いろいろな形状やバリエーションの「三弦」が存在することも見てきました。


 では、今度は「蛇皮」でなく「板」の三味線系楽器が中国にあるのか?という話です。


 ふつうに考えれば琵琶などは木製ですが、中国でも琵琶は「びわの実」の形をちゃんとしていて、まあ三弦系の楽器と先祖は同じですが、形状としては差異があるのが普通です。


 そこで、三味線型の楽器として板のものがあるのか、木製のものがあるのか調べてみました。


すると、いっぱい出てくるのです。


 板三弦

 https://memory.culture.tw/Home/Detail?Id=281959&IndexCode=Culture_Object


https://www.taobao.com/list/item/18173833835.htm


https://detail.1688.com/offer/588997178754.html?spm=a261b.2187593.0.0.281c43a2qB0b3i


https://world.taobao.com/item/636698829353.htm


もちろん、古い時代の作例ではなく、現代のものが多いですが、ぶっちゃけ中国人は、オリジナルは蛇皮であるものの、「三弦を板で作る」ことについては別になんとも思っていないことがよくわかります。


 なぜなら、もともと中国には板を張ったリュート属がいっぱいあって、たとえば「秦琴」や「月琴」「琵琶」「阮咸」などは全部木製です。モンゴルの馬頭琴だってそうですね。


 別に板三弦でもいいじゃないか。


というのが本音なのでしょう。


 その意味では、ゴッタンがまさに存在するように「別に板三味線でもいいじゃないか」というシンプルな考え方があってしかるべきであるということも理解できます。


 ただ、その全ては「板」であってもやっぱり「三弦」であるあたりはブレません。そこがこの三味線、三線、三弦文化の面白いところです。

 基本的には、これらの楽器は「それでも枝分かれせず、おともだち」なのです。



(参考 中国リュート属の名称を考える)


左から 小三弦 ・ 白族の龍頭三弦 ・ 大三弦


あたりまではわかるが、そこからは読めない・・・。しかし、古弾らしき名称はない。






 



南方系三弦と北方系三弦の違い 〜動画でさぐる沖縄三線のルーツ〜

 

 さてみなさんこんにちは。


 沖縄三線の棹がなぜ短いのか


という謎から発展したこのシリーズ。


 結論から言えば「明清楽」で使われる中国三弦には「カポ」が使われていて、弾き方が指固定であった!ということなのですが、情報化された世界においては、動画でその様子を探ることができます。


 考え方としては


■ 北方の三弦は、幅広いポジションで弾く 指固定でなく本州三味線式

■ 南方の三弦は、指固定で弾く。沖縄三線式


ということになります。この地域性と明清楽での弾き方の関連はまだよくわかりません。


中国民族器乐 【三弦】 赵承伟演奏


Sanxian - Everlasting Joy 万年欢


Chinese Folk Song on Sanxian 中国民间音乐 三弦




 (北方系と推定。いずれも、ローポジションからハイポジションまで移動しながら弾いている。三弦の中でも大三弦が用いられているように思われる。トレモロ多め)


天官賜福_三弦 文龍師


(大三弦での指固定奏法)



白族民间乐曲 三弦《大理坝子好风景》 中国音乐地图 听见云南


(雲南省白族 北方系の弾き方をしているように感じる。指は移動し、かつトレモロが多い)




(かなり興味深い映像。大三弦ながら いわゆるジャンカジャンカ系 の演奏しかしていない。六調系の原型かもしれない)


大理白族大本曲三絃演奏


(雲南白族の三弦 指移動 カポなし ジャンカ系)




(雲南白族 龍頭三弦 頭から飛び出した飾りが月琴の響き線の源流かもと言われているが。指移動がある。ジャンカ系が混じる この龍頭三弦は明らかに小さく、沖縄三弦にも近い寸法)



三弦試琴 林宗範



【林宗範牽亡歌示範】東營 │東營兵、東營將、東營兵馬九千九萬兵



(台湾 林宗範氏の演奏 指固定で三弦を弾いている。下のほうの楽器は現代ものと思われ、日本の三味線のコピーであろう)



台灣三弦琴


(こちらも台湾 カポがついていることがわかる。棹は長いが、指固定で弾いており、かつ上駒から離れて弾いているので、実際の音程は沖縄三線に近い位置になっている)


台灣三弦琴與二胡


(この映像良き。中〜小三弦くらいの寸法のものに、カポがついて、指固定で弾いている。台湾は「小琉球」なので、この弾き方が沖縄と近似であっても全く不思議ではない)



手工三弦的音色~張老師


(タイトルが「手作り三弦」なので、実態はよくわからないが、板張りで指固定)


LAÚD DAN TAM A8


(ベトナム ダン・タムなのにカポなしで、かつ指移動で弾いている。なんでやねん笑)



(ダン・タム カポ有り、指は半固定というかローポジションだが、ちょっとだけ移動がある。ハイポジは無し。トレモロあり)


LIÊN KHÚC ĐÀN TAM


(ベトナム ダン・タム トレモロあり。 カポ有り 指固定。親指の立て方が沖縄三線ぽい。ほんのわずかに指移動が見られるが、基本は固定だろう)


HỀ MỒI. LUYỆN TẬP ĐÀN TAM


(ダン・タムの奏法がわかりやすい映像。カポ有りで、実際の弦長はまさに沖縄三線くらいとわかる。指使いも三線速弾きにかなり似ている。トレモロがあるのが中国風っぽい笑)


Đàn Tam


(カポあり。指はけっこう移動する。トレモロもある。ダン・タムの奏法として指移動系と指固定系があるのかもしれない)


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<考察>


文化や音楽は交流し、混じりあうので「絶対にこうだ」ということはなかなか言い切れないが、動画をある程度まとまりで見てゆくと大まかな傾向はわかってくる。


■ 北方系大三弦は、指の移動があり、トレモロが多く、楽器の棹長を十分生かして演奏している。


■ 雲南省白族の三弦は「ジャンカジャンカ」系の演奏がある。舞踏の伴奏として弾くので、旋律よりリズムが重視されたからだろう。これらの音楽が南九州の六調系「ジャンカジャンカ」のルーツと推定できるかもしれない。


■ ベトナムのダン・タムは中国の様式も混ざっているが「指固定」「カポあり」という傾向が見て取れる。音楽的にはトレモロが多かったり、中国の影響も多分にある。


■ 台湾の三弦は「指固定」「カポあり」で、沖縄三線と非常に近い。沖縄で三線が短くなる前の姿を多分に残していると思われる。さすがは大琉球(沖縄)&小琉球(台湾)。




三線や三味線が「相対音」楽器である理由を考察する。

 

 さてみなさんこんにちは。


 「三線が短い理由」について考察した前回の記事を読んでくださった方から、質問があったのでそのテーマについても考えてみたいと思います。


 質問の趣旨は、「三線などの楽器は、チューニングが変動する楽器だが、チューニングが固定との楽器との違いをどのようにとらえるか」というものでした。


 もう少し簡単に言えば、たとえばギターは「ミラレソシミ」固定であったり、ピアノや笛はチューニングを変更できず、調が固定だけれど、三線や三味線はその都度「調を変えることができる」という特徴があり、実際そのように演奏されています。


 この絶対音な楽器と相対音な楽器の関係をどう捉えたらよいか、ということだと思います。


========


 結論から先に言ってしまえば、西洋音楽や近現代音楽が「科学的に安定」してきて以降は、「絶対音」が優勢になっていますが、


 すべての楽器は相対音からはじまった


と言っても過言ではないと思います。つまり、調の移動や、チューニングの変更は「当たり前」という考え方がベースにあって、そこから「標準化、基準化してゆこう」という動きへと変化してきたのではないか、ということになります。


 民族楽器を研究しているデータを見てゆくと、そのほとんどは「相対音」で拾い上げられています。東洋系のリュート属などの研究では、たとえば「馬頭琴」やら「ドンブラ」やら「中国楽器」やらがたくさん存在しますが、それらはかならず「弦の間は4度離れている」とか「5度離れてチューニングされる」という形で(現代の研究者からは)採譜されます。

 つまり、「絶対音のド」である、というような固定化された音の関係は民族楽器には存在せず、相対音としての音階ばかりである、ということになるでしょう。


 また、西洋系の代表のように思われるギターのチューニングも、実はロックやブルースでは変則チューニングが多用されます。ウィキペディアの「ギター」項だけでも10種以上のチューニング大系が記載されているほどです。


 さて、調弦が「科学的に安定」であるとはどういうことでしょうか。


 それはピアノの先祖であるチェンバロについて書かれた以下の記事を参考にすればわかってきます。


チェンバロと調律

http://www.ashizuka-ongaku-kenkyujo.com/smh/sumaho/chembalotochouritu.htm


 この記事を読むと、チェンバロが構造的に不安定であり、下手すると「毎日チューニングしなくてはならない」ような楽器であることがわかります。また、調律の方法も、いくつかの種類があることが読み取れるでしょう。


 ということは、現代ピアノや現代ギターのように、絶対音で固定でいられる楽器というのは、「構造が科学的に安定してきてこそ成り立つ」、ということで、民族楽器レベルの精度では、絶対音を維持することは、そもそもできない、ということが想像できるわけですね。


 したがって、基本的には人が楽器に対して設定してきたチューニングは「相対音階による調弦」であったと推察できることになると思います。


========


 さて、それでは三線や三味線に立ち戻って、中国系の音楽からこの問題を再考してみます。


雲南省納西族の音楽とその工尺譜の研究(九州大学・矢向正人)

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2794901/p045.pdf


によると、


■ 工尺譜は 楽器の指使いを示す譜であった(タブ譜)

■ よって 音階 そのものというよりは、元々は指使いのポジションであった。

■ しかし、実際には音階を示すようになり

 合 四 一 上 尺 工 凡  六 五 乙 イ上 イ尺

 ソ ラ シ ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド  レ

の関係になった。


 ということが示されます。


 これと三線工工四を比較してみると面白いことがわかります。


工 五 六 七 八

ソ ラ シ ド レ

四 上 中 尺

ド レ ミ ファ

合 乙 老

ソ ラ シ


ですから、


■ 合を低いソと捉える考え方は残っている

■ それ以外はバラバラ


ということがわかります。そりゃあ、個別の楽器のタブ譜なのですから、厳密には音階ではなく勘所位置を示すだけなので、バラバラになって当然ですが、逆に「合」は古いスタイルが残っているということが興味深いですね。


 そこで「なぜ合だけは、低いソという考え方が残っているのか」という点を調べてみました。


 月琴の弾き方

 http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2012/01/post-2edc-1.html


 には興味深いことが書かれています。


『明笛などが加わって清楽オーケストラとなるときは,明笛の指孔を全部塞いだ音(合:ホォ)に高音弦を合わせますが,自分の声や誰かの歌に合わせるようなときは,「間が5度もしくは4度」にさえなっていれば,低音が「ド」である必要はありません。』


 合奏の際には音を共通化して合わせる必要がありますが、その場合はたとえば「明笛」を基準として、全部の穴を押さえた音を「合」とする、というのです。


 なるほど、科学的に不安定な楽器しかできない状況で、「笛」を基準にするというのはかなり正確です。現代でも三味線、ギターのチューニングに「調子笛」を使うことを考えれば、とても合理的な考え方だと言えるでしょう。


 これは確認したわけではありませんが「合」とはつまり「合わせる音」というような意味だったとしたら、とてもおもしろいですね!


 加えて月琴でも歌い手に合わせて相対音階でチューニングすることが示され、これは三線や三味線とおなじです。


 余談ながら、科学的と思われている「西洋楽器」の世界でも、「実はめちゃくちゃいい加減」であることを示す証拠があります。

 私達は絶対音にとらわれていますが、やはり西洋人とて民族的な緩さがベースにあるので、「いい加減さ」が残ってしまうのです。


 その証拠は、


移調楽器

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%BB%E8%AA%BF%E6%A5%BD%E5%99%A8


というものです。


 これはどういうことかというと、管楽器は長さを変えればいろいろなバリエーションが増やせるのだけれど、穴と指の関係はおなじなので、弦楽器でいうところの「カポ」をつけたかのように演奏できることになります。


 つまり長い笛も、短い笛も押さえ方はいっしょ、ということです。


 そうすると楽譜上はドレミで書いてあっても、そのとき使う楽器によっては「実際に出ている音がズレている」ということが起きます。


 記事にはたくさんの表があり、「ズレている楽器一覧」がものすごいことになっていますが、厳格なように思われている西洋楽器やオーケストラであっても、実際には「ズレを吸収しながら、やっとこさ合わせている」ことがわかります。


 つまり、もともとそれぞれの楽器は「バラバラ」だったということになるわけですね。


 というわけで、再び結論です。


 すべての楽器はそれぞれ「てんでバラバラ」に発達してきて、文化文明や科学が発展してくるなかで「標準化されてきた」というのが正解だと思います。


(おしまい)



=======


 <三線についての補足>


 明清楽において、中国三弦にカポがついていることが発見されたわけですが、その理由はおそらくは「移調」のためではなく、「指固定」のためではないか?と思います。


 もともとリュート系弦楽器はチューニングが容易で、キーを上げたいだけであれば糸を巻き上げればいいだけなのだけれど、(あまりにも高音だと糸が切れるので限界はあるが)逆の考え方をすればハイキーを出したいのなら棹を長くしてポジション間を広く取るのが正解だと考えます。


 実際に本州の三味線が長くなったり、ベトナムのダン・ダイが長いのは高音を出すためでしょう。


 ということは三弦にカポをつける理由は、おそらく高音を出したいのではなく、指を固定して弾くためであろうと推察します。


 その意味では阮咸や秦琴・月琴系に対して「なぜ三弦は指固定にしたかったのか?」というそこの差異が謎だということになるかもしれません。






2024年1月7日日曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む13 補遺 「ゴッタン」と悪魔の証明

  さてみなさんこんにちは。


 ゴッタンの正体については、一定の見解を得ることが出来たものの、補足事項がいくつか残っているので、そのあたりについても考察してみたいと思います。


 今回、ゴッタンのルーツや語源を探るにあたって、かなり中国の少数民族の楽器なども調べましたが、どこにも「古弾(グータン)」と呼ばれる楽器が見当たらないことが、ひとつの問題として浮かび上がりました。


 鳥集忠男さんが言及した「ごったん=古弾」説ですが、実はこの段階で少し謎があります。


https://www.nishinippon.co.jp/item/n/306305/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%B3


 西日本新聞の記事や、ウィキの解説では、「中国 貴州省のミャオ族」に伝わる楽器として古弾があった、としていますが、



引用した「古代朝鮮文化を考える14」(1999)では、大分合同新聞の記事として「中国 雲南省」の少数民族の楽器という話も出てくるのです。


 平たく言って「どっちやねん!」という話が2つ出てくるのが、まずミステリーですね。


 地図で見るとわかりますが、雲南省というのは、中国の南端で、ミャンマー・ラオス・ベトナムに国境を接しています。貴州省はその雲南省の東隣で、こちらは他国と国境を接していないエリアです。

 鳥集氏の説では、なぜこの地域の楽器が日本に来たかと言うと「照葉樹林文化論」のひとつとして、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%91%89%E6%A8%B9%E6%9E%97%E6%96%87%E5%8C%96%E8%AB%96

日本の文化の多くが、雲南省などのエリアから渡ってきている、という話をベースにしているようでした。

(アニメ監督の宮崎駿氏も、この話の影響を受けて作品の中に取り入れているそうです)


 ところが、この照葉樹林文化論、批判も多く、はてさてそれが真実かどうかは、よくわかりません。


 それより何より、「雲南省」と「貴州省」の民族楽器をどれだけ検索しても「古弾」なる楽器が見つからないことが、恐ろしいお話です。


雲南少数民族三弦分類研究

https://m.fx361.com/news/2021/0329/11734451.html


 まあ、なんといっても現代は情報化社会ですから、中国語のテキストであってもウェブでしっかり調べることができます。

 上記のように、雲南省などの地方楽器の現地での研究も多数ありますが、どこにも古弾は見つかりません。


 もちろん、鳥集氏が見誤りそうな楽器はいくつか予想できます。たとえばこれは日本のウィキペディアにもある「囚牛」などは、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9A%E7%89%9B


見かけがかなりゴッタンに似た楽器です。


 こうした「蛇皮ではない三弦リュート系楽器」は他にも多数ありますが、実際にはいずれも現地では「三弦」の系統として伝わっており、「グータン」やそれに似た呼び名のものはなさそうです。


 逆に言えば「白族(ペー族)」にはたくさんの蛇皮三弦が伝わっており、いわゆる中国三弦そのものです。

 以下中国語のサイトがいくつか出てきますが、簡体字になっているものの、日本人でもおおよその意味がわかる箇所が多いので、ぜひ見てみてください。


https://m.zgmzyq.cn/zh/chinese-musical-instruments/faucet-sanxian/


https://shidian.baike.com/wikiid/7244717010445402172?anchor=lnq485tb11ld


などを丹念に読むとわかりますが、雲南省の弦楽器はその多くが「龍頭三弦」であり、」ヘッドの部分が龍を模したデザインになっていることが示されます。


 また「苗族(ミャオ族)」の楽器も中国三弦です。


 https://ys.httpcn.com/baike/yueqi/miaozusanxian.shtml


https://www.lnanews.com/news/110816


またこれらの地方にはいくらでも「三弦」系楽器は出てきますが、すべて呼称は「三弦」であり、となれば沖縄三線や本州三味線の「おともだち」でこそあれ、「古弾」という独自楽器ではないことになります。


 そもそも雲南・貴州地方の少数民族の大半は「三弦」を弾いていて、その中から「古弾」を見つけられないのに、あえて「グータンという中国南方の民族楽器があるのだ」ということを取り上げたのだとしたら、とても恣意的なチョイスだと言えるかもしれませんね。

(周囲に三弦がたくさんあるのに、わざわざそれをカットしているのだとすれば、たいへんに不可思議な説ということになるでしょう)


 さて、鳥集氏が、まったく荒唐無稽に「古弾」を出してきたのではないと考えられる情報もわずかにあります。


それは苗族に「弾琴」という言葉があることです。


http://gekkinon.cocolog-nifty.com/moonlute/2012/11/post-0a93.html


 月琴の研究をなさっている方の指摘では苗族(ミャオ族)は「弾琴」という言い方をするそうで、それはシンプルに「弾くもの」というニュアンスからの名称でしょう。

 日本語で通常言う言い方であれば、それは「撥弦楽器」「打弦楽器」くらいの言葉が想定できます。


https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/55127


また、大阪の堺にある江戸時代の集落跡から肥前磁器として「瀬戸水滴」という焼き物が見つかったのですが、 

「肥前磁器 瀬戸水滴 特記事項 瀬戸水滴のモチーフは苗族の「弾琴」と想定される。」

とあり、江戸時代に弾琴の形状が日本に入っていたことはありそうです。


(しかしそれを言うなら、江戸時代の堺には三線も入ってきているので・・・)


 さらに苗族には「古瓢琴」という楽器もあります。


https://www.youtube.com/watch?v=7yrV4r9OPro


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 とまあ、このあたりの段階ですでに「古弾が存在する」というのは悪魔の証明の領域に差し掛かっていることがわかります。


 悪魔の証明とは「ある物が存在することを証明するには、それを出してきて見せればいいだけだが、ないことを証明するのはとても難しい」というお話です。


 さんざん探しても「古弾」は見つからないけれど、それを「ない」と証明するのは、悪魔のように難しいことだ、ということです。


 もしかろうじて「鳥集氏が何をもって古弾を知ったか」ということを想像するならば、


■ 苗族などに三弦などを示して言う「弾琴」という呼び方があった。

■ その中で古い、古式な楽器を指して「古弾琴」のような発話や、言い方があった。

■ 「古弾」という部分だけが、ことさらに強い印象を与えた。

■ 楽器としては三弦の一種だったが、鳥集氏は「古弾」という楽器名だという印象を持った。


ということがあったのかもしれません。



 さて、古弾はともかく、ゴッタンに関しては、少しだけ朗報があります。


 それは「古弾」は見つからないけれど、雲南省や貴州省には「中国三弦の派生はいっぱいある。山ほどある」ということです。

 であれば、確率論から言っても、

「ゴッタンは古弾の影響を受けた楽器である」

という話より

「ゴッタンは三弦の影響を受けた楽器である」

ということのほうが、はるかに確率が高い、ということを意味します。


 三弦なのであれば、南九州にはすでに沖縄三線があり、本州にはすでに三味線が上陸しているのですから、わざわざ大陸にゴッタンのルーツを求めなくても、「おともだちはすぐそばにいっぱいある」のです。


 となると、やはりゴッタンの「語源」としては「ゼロベースで考え直す」必要があるわけですね。


(つづく)



 

 

沖縄三線の棹はなぜ短いのか。その謎を解く

 


 さてみなさんこんにちは。


 最近の当ブログの記事は、「ゴッタン」関係が多く、今回はそのスピンオフのような感じで「沖縄三線」についてすこし発見したことをまとめようと思います。


 いやいや、もともとが三味線や三線ブログで、ゴッタンのほうがスピンオフでは?というツッコミは無しで(笑)


 実はゴッタンのルーツをずっと探っていて、中国の楽器、東南アジアの楽器などをしらみつぶしに当たっているので、その関係で当然「中国三弦」や「沖縄三線」との比較をしたり、関係を推定するような作業をずっと行っています。


 そうした作業の途中で、「沖縄三線」の棹が短い理由がはっきり見つかったので、その報告となるわけです。


 はてさて、本州の三味線は全長が約100センチ程度(正寸3尺2寸)、それに対して沖縄の三線は全長が78センチ程度と極端に短いのが特徴です。


 そして、それらの原型である中国三弦の長さも、基本的には「長い」のがポイントです。

 現代中国では「大三弦」「中三弦」「小三弦」という3パターンくらいのサイズがありますが、


■ 大三弦 全長120センチ

■ 中三弦 ↑↓の中間程度

■ 小三弦 全長90センチから95センチ


 という関係性です。


 中三弦は後代に出来た、というかバリエーションが増える中でそういう分類になったともされているので、「北方の三弦琴、三弦子はデカい」「南方の三弦琴、三弦子はちっちゃい」というのがベースになるでしょう。


 ちなみに、三弦はベトナムにも広がっており、ベトナム三弦「ダン・タム」は、全長90センチ程度とのことです。つまり、南方の楽器ですね。

https://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_jiten_dantam.html


 補足して、「ダン・ダイ」というロングネックの板三弦があるのですが、こちらは、ハイポジションにしかフレットがありません。つまり、そこだけを弾く楽器のようです。


https://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_jiten_dandai.html

 ダン・ダイはかなり全長が長く、「ダイ」が長いという意味だそうですが、(南方のベトナムの楽器ではあるけれど)ハイポジション専用楽器として進化したのかもしれません。


 さて、本筋に戻りますが、中国三弦琴にしてもベトナム系にしても、基本的には一般に90センチくらいの長さ、というのがこの楽器の特徴だといえますが、それと比較すると沖縄三線の76センチというのは


「めちゃくちゃ短い」


のが特徴ということになります。


 おなじ源流を持つ本州三味線が100センチに拡大していることを考えれば、大三弦ほどではないにしろ90センチから100センチくらいがこの三弦子の基本形と言えそうですが、なぜ沖縄三線だけが短いのか、ということは


大きな謎


と言えるかもしれません。


 以前に検証した私の記事にもありますが


https://note.com/sanshin_ism/n/n8c0483eb5e94


 琉球王朝時代の尺がもう少し短ければ、もしかすると三線は75センチくらいだったかもしれず、それだと8割程度に「小さい」ことになります。


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 以下はざっくりとした考え方ですが、基本は尺貫法で計算されるので、現代日本風に考えると

■ 日本 1尺=30.3センチ 1寸=3.03センチ


であり、本州三味線は3尺2寸、琉球三線は2尺5寸、小三弦は3尺と仮にみなすことができるでしょう。


 余談ながら


■ 中国(唐) 1尺=29.6センチ程度(正倉院品より平均)

■ 中国(清滅亡後の造営尺・メートル法にちかづけた) 1尺=32センチ

■ 中国(現在)1尺=1/3m=33.3センチ


らしいので、メートル法と出会った時代のものは別としても、古代中国の尺は約30センチと考えてよさそうです。

 その意味では、日本の尺貫法は意外と古代中国尺を律儀に守っているほうだと思われます(苦笑)


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 さて、尺貫法のことは別にしても、沖縄三線が「意図的に、明らかに」小さくなっているのはなぜなのでしょう。これは楽器のバリエーションとか数値的誤差を飛び越えて「確実に短い」と言えます。


 長年、その明確な答えは見つからなかったのですが、今回とある文献資料を通じて、謎が全て解けました!!


 画像は「明清楽之栞」という明治27年に発行された文書です。



 明清楽というのは中国の音楽で、江戸時代から明治にかけて日本でも大流行したのですが、日清戦争で清が敵国になった関係で急速に廃れていったものです。


 その明清楽では、月琴やら阮咸やら、いわゆる中国楽器が山ほど使われるのですが、当然三弦子も登場します。それを解説した部分ですね。



 この2枚の画像をみると、沖縄三線が短い理由がしっかり載っています。


 それは、まず、本来の三弦はおそらく弦の全長を使って弾くのだろうけれど、「明清楽」の音楽との関係では、カポタストを装着して弾いていたことが描かれているのです。


 「竿の上部に微枕あり その所に手指をあてるなり」


とあります。つまり、本来の上駒から離れたところに、「微枕」=カポ をつけているらしいのです。当然弦長はそこから下に向かってしか作用しません。


 二枚目の画像にも、興味深いことが描かれています。


 ■ 微枕から2寸くらいのところからポジションがはじまる。

 ■ そこから「人差し指」「中指」「紅指」「小指」の使用が確定される。


 この弾き方は、沖縄三線との繋がりをイメージさせます。沖縄でも、指は固定で、薬指は使わないものの、ポジションとの関係はこの明清楽の図とほぼおなじです。


 調弦は二上がり指定。このあたりの音符の関係はもっと精査する必要がありますが、沖縄音階がレラ抜き音階なので、その関係で薬指は使わない可能性もあります。


 だとすれば明清楽のポジションと同一の可能性もあるわけですね。


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 では、このことを沖縄サイドから見るとどうでしょう。


 工工四を発明したのは屋嘉比 朝寄(やかび ちょうき 1716年 - 1775年)で、当時の中国で使われていた工尺譜、唐伝日本十三弦箏譜、潮州の二四譜、 明清楽譜などの記譜法を参考に、足りないものを補って考案したと言われます。


 当然、明清楽の影響を受けており、工尺譜をベースにしているので、画像でもわかるとおり、ポジションや楽譜の書き方は共通点が多いわけですね。


 琉球の古典音楽(とくに宮廷音楽)」では、ふつうに中国の楽器が入ってきていますから、そこから沖縄三線が独自進化をしてゆく中で、


「どうせカポをつけるなら、そこから上は不要じゃね?」


という発想になるのは、ごくごく自然なことでしょう。


 図を見ると、となりに描かれている阮咸では「ハイポジションまでびっしり勘所がある」のがわかると思います。なので、おなじような棹長さの楽器でも、こちらの阮咸は「指固定ではなく、どこまでも指をずらして弾いてOK」ということが判明します。


 明清楽では、「ハイポジまで弾くのは阮咸」「指固定で弾くのは三弦」という棲み分けがあったのでしょう。


 その影響を多分に受けているのが沖縄三線であり、それを現代でも「守っている」のが「工工四」の記載法であり、三線の演奏法、ということになるのでしょう。


 そこで、結論です。


 おそらく三線の原型は、中国三弦そのものですから棹が長かったと思います。


 そして、初期には棹が長いままで弾いていたことでしょう。


 しかし、途中で、三線は合理的に棹を短くしました。長い部分をどうせ使わない譜面であり、演奏法だったからです。


 それは三弦に特徴的だった「指固定の演奏法」が根本的な理由だったと思われます。


 今後の検討事項としては、三弦琴、三弦子が、「どの時代のどのジャンルにおいて指固定法だったのか」ということの分析が必要かもしれません。明清楽ではそうだった、ということがわかりましたが、それ以前の音楽や、三弦を使う別のジャンルの中国古典音楽でもそうなのか、というあたりがわからないからです。


(基礎知識として阮咸系の楽器が古く、三弦系の楽器は比較的新しいということもあります。また蛇皮を使うことからもわかるように、阮咸系が北方系で、三弦系は南方系という要素もあります)


 今後の研究が進むと、たいへんおもしろいですね。


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追記


https://www.colare.jp/classic/695/


 この方の記事はとても参考になります。ベトナムの三弦についてホーチミンのものも、ハノイのものも「カポ」が実際についていることがわかります。


https://www.vietnam-sketch.com/archive/special/monthly/2004/11/003.html


 こちらの画像もよく見るとカポがついています。


 三弦が長いまま使われる地方と音楽ジャンル、短くして使う地方と音楽ジャンルが存在する、ということです。


(おしまい)



2024年1月6日土曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む12 「総まとめ」と、俗説の検証

 

 さてみなさんこんにちは。

 かなり長い期間に渡って「ゴッタン」とはなにか?について検証を重ねてきましたが、正確にすべてが判明したわけではないものの、「おおまか」にはこの楽器がどういう存在であったかについてわかってきたと思います。


 そこで、<総まとめ>をまず書いておきましょう。


■ ゴッタンは、その寸法から沖縄三線の非公式な写し(コピー)であると思われる。

■ 幕府や薩摩藩の管理下にあったものではなく、非公式で非公認の楽器である。

■ おそらくは三線的なものを身近な材料で再現した「杉製レプリカ」であろう。

■ 家督や座頭などの藩公認の盲人音楽は「琵琶」主体であった。

■ 女性盲人の組織はあったが、藩公認に属するというよりは、準じるものであった。

■ バチを使わないことから、琵琶系楽曲とは異なる系統と思われる。

■ 男性は基本的には弾かない楽器である。(のちに家督や座頭に受け継がれる)


 そして、これらから浮かび上がってきた実像としては


■ ゴッタンは、最初から最後まで庶民の楽器である。

■ ゴッタンは愛の楽器である。


ということが挙げられます。


 日本の多くの楽器は、「宮廷楽器」や「幕府や藩などの公認の楽器」から「降りてきた」ものが多くありますが、「庶民のための庶民による楽器」というのは、それほど多くはありません。


 似た歴史を持つものとしては「篠笛」なども挙げられますが、篠笛は、宮廷楽器である「龍笛」などの庶民的写しです。

 逆に尺八などは一見すると庶民的に思えるかもしれませんが、普化宗(虚無僧)に独占的に使用が許されたりしたこともあって、庶民のものではありませんでした。


 篠笛やゴッタンは、民俗的に、庶民の中から自然に湧き上がってきたもの、と言ってよいと思われます。


 では、愛の楽器とはどういうことか。


 これは「男性が本来は弾かない」という点に注目します。男性は弾かないのだけれど、女性や子供のために「男性が作る」楽器なのです。女性が楽器を作ることは、当時もいまも皆無といって良いでしょう。大工や指物師など「木材」を流通によって入手するためにも、男性の職人が存在する必要があるからです。


 文献を読んでいると、ごったんが普及していた時代に、「多くの子女が持っていた」という話もよく目にします。


 つまり、この楽器は、男性が作り、子供に贈る楽器であるということです。あるいはその弾き手は女性であり、女性のために作る楽器であるということになるでしょう。


 またそれが演奏される時には、男性が民謡を歌い、女性が伴奏するという写真も多く目にすることができるのです。


 また、コピーであり、レプリカだったからこそ、「元の形を再現する」ということには、ほとんど重きをおいておらず、形状的にはシンプルです。

 しかし、それが「正式に許された楽器ではない」という非合法性と絶妙に相まって、「これはごつごつした桶である」という言い逃れのゆとり、あるいは隙間を産んだものとなっているのではないでしょうか?


========


 さて、ゴッタンは謎が多いあまりに、それにまつわる「俗説」がいくつか見られます。

 その検証もしておきましょう。


『ゴッタンの語源は古弾(グータン)である』

・・・完全に否定するものではありませんが、古弾という楽器の存在を示すものが、今のところ探すことができず、文献にも登場しません。説を唱えた鳥集氏の印象的な仮説と思われます。


『ゴッタンは隠れ念仏の伴奏楽器であった』

・・・戦前の資料には、そうした話は全く見られません。少なくとも、民謡系や現地文化に関わる調査などを見ても、隠れ念仏との関連はないように感じられます。

 おそらくは瞽女歌が「仏教系の口説系音楽」を含んでいたために、念仏とゴッタン楽曲との関連が「想像」されたものではないでしょうか。

 少なくとも、薩摩地方の「隠れ念仏(一向宗)」は秘匿に秘匿を重ねるもので、14万人が弾圧されたという壮絶なものです。洞窟に隠れて、仏像を偽装して隠したほどのものなので「楽器を弾いて音を漏らす」などといった行為は、おそらく考えられません。

 そうでなくても音曲は「風紀を乱す」として薩摩藩では禁じられていた話もあり、矛盾が甚だしいと思われます。


(実は鳥集氏のお父様が、江戸時代に一向宗を取り締まる役職についていたという話があり、そこからイメージが膨らんだものかもしれません)



『ゴッタンは隠れキリシタンの楽器であった』

・・・これも上記隠れ念仏の誤解の変形でしょう。ゴッタンとキリシタンの関係は、文献資料からはまったく関係が見えてきません。


『ゴッタンは大工が施主などに贈ったものである』

・・・これはある意味正しいと思います。楽器製作者によって、公的に製作される楽器ではないため、木工の素養がある者によって作られたのはそのとおりだと考えます。

 また、特に明治以降は、禁制のようなものが解け、音楽が自由になった際には、ゴッタンを作って贈るような風習が生まれたことは想像に堅くありません。

(しかし、施主の当主に贈り、その家のあるじが弾いたかというと疑問です。弾くのはほぼ女性というデータがあまりに多いからです。男性が弾くようになるのは、おそらく戦後かなり経ってからではないでしょうか)

(ただし、ゴッタンと太鼓が床の間に置かれていた、という伝承もよく見られます。沖縄三線では刀に次ぐものとして三線が床の間に飾られた風習が(武士階級を中心に)残っているので、影響があるかもしれません)



『ゴッタンは瞽女の楽器である』

・・・これはある意味正解で、ある意味間違いかもしれません。瞽女がゴッタンを弾いたことは正しいですが、おそらく「瞽女は三味線も弾いた」と考えるほうが自然だからです。

 ある程度、明治以降に本州三味線が流入・定着した際に、ゴッタンとの混在は起きたことでしょう。なおかつ、これも文献を勘案すると「家督・座頭」による琵琶音楽といっしょに「ゴッタンの使用」が混在していったと思われます。

 これは推察ですが、琵琶楽とゴッタン楽はまったく別系統の成り立ちですが、職業音楽として各地で弾く際、いちいち皮張りを行わなくてはならない三味線より、琵琶と同じく総木製であったゴッタンのほうが手勝手がよかった、という面などがあったのかもしれません。

 それは「座頭と瞽女の夫婦」によってなされたものと思います。


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 最後になりますが、ゴッタンはいつ誕生したか?という点についても考えてみたいと思います。

 江戸時代の間は、薩摩藩によってかなり縛りがあり、自由な移動などもほとんど考えられませんでした。

 現存する沖縄最古の三線が江戸時代後期であり、奄美のそれも、おなじく江戸後期に沖縄から買ってきたものとされているので、沖縄と奄美で「三線文化」が公的システムにおいて花開いたのは江戸時代後期と思われます。

 そして、奄美の「家督」が三線を弾いたらしいことから、そこでは琵琶ではなく、三線への移行が進んだことがわかります。


 とすれば、薩摩地方において「そのレプリカを作ろう」という発想が生まれるのは、江戸時代後期から末期ということになるでしょう。

 明治になると急速に「本州三味線」なども流入してきますから、実はゴッタンの存在期間は「それほど長くない」と考えられます。

(そこから、本州式の影響をうけて、棹が長くなってゆくのでしょう)

 薩摩藩における武士の「琵琶楽」の推奨に対して、薩摩藩下における「田舎、地方」に自然発生的に生じたゴッタン文化でしょうから、現実的には


『江戸時代末期ごろから戦前まで』


が、ゴッタンの生きた時代だったと推定します。



 長々と書いてきましたが、今後も調査は継続しますので、また追加の情報が出次第、まとめてゆくつもりです。



(おしまい)






 

2024年1月5日金曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む11 薩摩琵琶とゴッタンの関係

 

 さてみなさんこんにちは。


 前回はいよいよ「ゴッタンの語源」ではないか?というかなり濃密な仮説にたどりついたのですが、それは


「ごつごつした桶」


というものでした。


 ではなぜ「てこさんせん」というように、「三味線」という語を知っているはずなのに、ゴッタンは「ごったん」と呼ばれたのでしょう。その仮説として


『なにか、ご禁制のブツだったので、それが三味線であることを隠したのではないか』


ということが推理されたわけです。


 そこで今回は、薩摩藩における音楽状況を、もう一度おさらいしてみたいと思います。


 薩摩琵琶の演奏家である水島さんのサイトでは、琵琶関係の起源が説明されていますが、


https://biwamusic.net/history-of-biwa/biwahistory/


 どうもゴッタンと関係がありそうな話が、ふわっと横たわっています。


■ 奈良時代に楽琵琶が入ってきて、正倉院にある。そこから平安鎌倉期に「平家琵琶」が登場した。

■ 平家琵琶は琵琶法師という盲人音楽となった。そこから九州の盲僧琵琶へとつながる。

■ 室町時代には盲人の職業集団である「当道座」ができた。この「当道座」のもとに琵琶・三味線・胡弓・箏曲などの音楽があった。

(私が最初学んだ地唄も盲人系の音楽である。菓子「八ツ橋」の語源と言われる八ツ橋検校も当然盲人である)

(この連載で述べているシステム管理下・幕府のコントロール下にあったことがわかる)

■ 三味線が入ってきて、琵琶法師たちが新楽器として手を出した。そのため琵琶のバチを流用したり、さわりをつけたりしている。(さわりは琵琶由来)

■ 江戸時代初期、三味線音楽は当然「盲人」が担っていたが、公的な「座」に属しているものと、モグリの盲人との間でトラブルが生じた。その結果、座に属していない盲人は「宗教的音楽しか演奏してはいけない」と定められた。

(公認琵琶法師と、非公認の琵琶法師が分けられた。モグリのほうは、宗教的音楽しか弾けなくなった。もし、ちがう楽曲を弾くと、捕まるということである)

■ 非公認の琵琶法師は、琵琶に柱をうちつけることと決まった。柱のない三味線は、公認琵琶法師しか弾けなくなったということである。

■ 一時期、柱のない琵琶と三味線は「似た存在」であったということになる。

■ その後、薩摩藩では藩と関わり「薩摩琵琶」「筑前琵琶」などへと展開していった。


 さて、同様の内容ですが、

http://www.yo.rim.or.jp/~kosyuuan/kosyuan/rekisi.htm


にも、興味深い話が出ています。


■ 箏・三絃は明治になるまで、ほぼ盲人専業として保護されていた。

■ 地神・荒神を祀るのに、琵琶音楽が用いられた。

■ そこから平曲(平家物語)が生まれる。

■ 当道座、専業は「男子のみ」であり女子は不明だが、「ごぜ」というもう少し小さい地域組織があったようだ。

■ 三味線については、琉球三線がベースで、琵琶法師が改造を施した。

■ すべて検校(盲人演奏家)が関わり、三味線音楽が浄瑠璃系や柳川系へと発展していった。

■ 江戸中期までは、歌舞伎や人形浄瑠璃関係でも、音楽は当道座が独占していた。

■ 歌舞伎関係者が「教わろう」としてもはねのけられた。そこで幕府に仲介を願い出て、幕府のあっせんで「歌舞伎関係者が音楽を教わる」「当道座系の音楽を演奏できる」ことができるようになった。

■ それでも当道座と芝居が一緒に営業することは禁じられていた。



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 こうしたことを勘案すると、琵琶であっても三味線であっても、基本的には「公システムのコントロール」を逃れられない状況であったことがわかります。


「文化圏を超える口承文芸」下野敏見

https://ko-sho.org/download/K_029/SFNRJ_K_029-06.pdf

 

さらに、日本口承文芸学会の上記論文では、もっとすごいことが書いてあります。

 

■ 薩摩では「川辺ザッツ、知覧ゴゼ」と呼ばれた。(ザッツは”座頭市”の座頭である)

■ 薩摩・大隅・日向・諸県の盲僧は「家督」という。彼らは戦国時代に島津のスパイとして活躍し、土地や寺院や米をもらう権利を得た。

■ その権利を受け継ぐので「家督」なのである。


 その後で、荒武タミさんの話も出てきますが、そうなるとやはり基本はザッツやゴゼも、「公的システムに組み入れられている」ことがわかります。なおかつ、元々はスパイとして権利を得たというのですから、すごい話です。


 はたまた、おもしろいのは


■ 奄美にも家督はいて「ダットどん(またはガット)」と呼ばれていた。

■ こちらのダットどんは「三線」を弾いている(年代は不明)


ということです。昔話のニュアンスで語られる芸能なので、ふつうに考えれば、これは江戸時代の話と思えますが、ここでは「家督が三線」を弾いていることがわかるのです。


 もちろん、こうして考えると「ゴゼ」として荒武さんが三味線やゴッタンを弾くのは、自然な流れですが、彼女の経歴を考えるとすでに「組織化されたゴゼ」の時代は終わっており、彼女は薩摩瞽女の系譜にあるけれども、組織化された瞽女の中にいたというよりは、その名残を受け継いだのではないだろうか、という疑問も浮かんできます。


 上記論文の中には、「家督どんのシステム」のほぼ最後に組み込まれていた男性・富貴島さん(大正5年生まれ)の話も出てきますから、家督どんが「メジャー」であるとすれば、荒武さん(明治44年生まれ)は「インディーズ」だったのではないか?とも思えるわけです。


 富貴島さんは、盲僧琵琶の弾き手であった、という点も「家督・座頭システムのシステム管理下」っぽさを感じるのです。(やはり、ここは三味線ではない)


*「西日本民俗博物誌 下」(1978)では 「ザッツどんは琵琶で、瞽女は三味線である」旨の棲み分けがあっただろうことが暗に示されている。

”座頭は琵琶を弾く盲僧であり、ゴゼは三味線を弾く盲女のこと”

”家督殿は士族待遇”


*「南日本の民俗芸能誌 北薩東部編」(2014)では

”座頭のことで、琵琶(のちはゴッタン〈板三味線〉)を弾いて回った。”

と、当初琵琶弾きだった座頭が、のちにゴッタンを弾いたことが書かれている。


*「潮」(1979)には

”私が少年の日に見聞した薩摩瞽女は、ほとんど座頭とごぜの夫婦者であった。ごぜの弾いていたのが三味線でなくて<ゴッタン>という楽器であったとは初めて知った。”

とあり、座頭と瞽女の夫婦があったことも示される。


 もしかすると、そこで座頭とゴッタンが出会った可能性もあるでしょう。


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 今回の話を全体としてまとめると、以下のようなことが見えてきます。


■ 近世以降の音楽は、基本的に盲人によって管理下にあり、それは幕府などの公的システムのコントロールを受けていた。

■ それらは主に男性中心であり、女性はおそらくは似た組織である瞽女システムに属していただろう。

■ 薩摩藩では、とかく「琵琶」が公的音曲であった。島津のスパイを経て「家督」と呼ぶくらい封建化されていた。

■ 奄美でもおなじシステムがあったが、そこで登場するのは「三線」であり「琵琶」ではない。

■ ゴッタンは、公的にも私的にも「琵琶と三線(三味線)」のハザマに落ち込んでいる楽器である。

■ しかし、ゴッタンにはバチが登場しない。これは、男性で、なおかつ琵琶法師である家督や座頭が本来は「扱っていない」ことを暗示する。


 家督どんや座頭のシステムに「ゴッタン」が登場しないのは、やはりこの楽器が、


「とても私的で、とてもインディーズで、とても非公式な楽器である」


ことを示しています。


 これは前回までの「推理」である、


『ゴッタンは私的な、沖縄三線の模倣品である』


ということと、ほとんど矛盾しないと思われます。


(つづく)






2024年1月4日木曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む10 ゴッタンの語源の仮説 〜ごつごつしてる?〜

 

 さてみなさんこんにちは


 ゴッタンの語源についても考察を深めていますが、まだはっきりとしたことはわからなかった経緯があります。


 鳥集説によれば、中国の楽器「古弾」ですが、それ以外にも、

■ ごったんのゴトゴトした音を模したもの

■ 「ごったましい」から来ている

などがあるようです。


https://kagoshimaben-kentei.com/jaddo/%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%97/


 ごったましい、は「頑丈、強そう、たくましい」ですが、上記記事では「ごっ」の部分を


「ごっ逞(たくま)し」の転訛です。「ごっ」は、強意の接頭語です。


と解説しているように、関西で言うところの「ごっつう逞しい」なのではないかとも考えられます。


 たしかに「ゴッタン」なので、「ごっ」たくましい、とは関連がありそうですが、今回の調査では「ゴクタンやゴキタン」という呼び方もあるので、単なる「ごっつい」だけでは説得力が弱そうに感じていました。


 ところが、興味深い資料が見つかったのです。


 1973年発刊の「国分郷土誌」(国分市)の「国分ことば(ごくっことば)」の欄に、こんなデータが登場します。


 『ゴクロシ ごつごつした、頑丈な』

 これを見ると、「ごくろし」は「ごったまし」と同系統の言葉と推定できますが、「し」は現代語の「〜しい」に当たることでしょう。

 つまり「ごく」もしくは「ごくろ」で「ゴツゴツ」を意味すると考えられ、「ゴツゴツしい」「ゴツゴツっぽい」という意味で「ごくろし」なのだとわかります。

「恐ろしい・おどろおどろしい」などの「ろしい」である可能性もあり、そうであれば「ゴク」の部分だけで「ゴツゴツしている」というニュアンスがあることがわかります。

 もちろん、おなじ辞書には「ゴッタン」もあり、


『ゴッタン 板張りの三味線』


となっています。



 気がかりなのは「ゴックンメシ」の箇所と「ゴッツク」の箇所です。どちらも音便化していますが、


『ごく・めし』 = おこわ、硬いご飯

『ごく・つく』= 強引な様子


である可能性が高いでしょう。


 そうすると、いわゆる「こわい(強い)」のニュアンスで、「ゴクい」という雰囲気の言葉が存在していることがわかります。


 実際には「ゴクい」という言葉にはなっておらず、「ゴクろしい」なのですが、ニュアンスとしてはわかりやすいですね。


 こうした用語・用例を総合的に考えると、「ゴッタン」の語源が「言語学的」にはある程度見えてきます。


 それは


「ゴク・タン」 = ごつごつした桶(おけ)


ということになります。


 なるほど、形状的には、これはかなりゴッタンの姿を的確に表したものだと言えるでしょう。


 しかし、なぜ三味線や三線を名乗らず、「これは桶だ」と言っているのでしょうか。(のちにはテコサンセンという言葉を使うくらいには、当たり前の存在なのに、です)


 これは推測ですが、薩摩藩の禁制となんらかの関係があるかもしれません。


 音曲そのものが禁止されていて、ごく特定の琵琶音楽などが武士に許されていたとすれば、庶民が「楽器」を持つことは許されないでしょう。


 であれば「あれは桶です」と言い逃れするという可能性が出てきます。


 現実問題として、ゴッタンがどれくらい「禁じられていた」かは定かではありません。しかし、そもそもこの楽器は「公的なシステムに乗っていない」ので、つまりは言い方は悪いけれど、


「ヤミのブツ」


なのです(笑) 


 もっと恐ろしいことを考えれば、あくまでも「取っ手の長い手桶」だからこそ、装飾を廃していなければならないのかもしれません。

 天神や猿尾がないのは、「桶」であると貫き通すためだったとしたら・・・。


 想像をたくましくしてしまいましたが、これが左大文字的な「ごったん」の語源の仮説、ということになるでしょう。


(つづく)





2024年1月3日水曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む09 閑話休題「古ゴッタンを復元する」

 

 さてみなさんこんにちは。


 まだまだ謎多き「ゴッタン」を探る旅ですが、今回はいったん小休止して、原型に近い「古ゴッタン」を復元しよう、という試みです。


 実はこの構想は長年持っていて、いよいよ2024年も明けたばかりなので、今年こそ「古ゴッタン」とはどんなものだったか、再現にチャレンジしたいのです。


 うまい具合にスギの一枚板が入手できたので、それを使いながらこの作業に取り組んでいければと思っています。


 さて、ゴッタンは「昔は小さかった」という話は文献を読んでいるといくつも出てきます。そして現在でもゴッタンは本州の三味線よりは小ぶりで、本州の三味線の全長が約100センチなのに対して、ゴッタンは90センチ〜92センチ前後のものが多いようです。


 ところが文献上の寸法は全長「二尺五寸」であり、これは沖縄の三線と同じ寸法です。厳密に言えば弦楽器は全長ではなく「弦長」のほうが大事なのですが、まあおおむね、全長と弦長は相関関係があるので、弦長そのものにこだわらなくても、復元は可能なのではないか、と思っています。


 ちなみに、沖縄三味線のヘッドはとても小さく、糸蔵部分は本州の三味線と比べると「ものすごく小さい」作りになっています。その分全長が短くても弦長はかせげるのですが、それでも三線の全長が76センチ程度であることを考えると、少しばかりヘッドサイズが小さくても、全長100センチの三味線には勝てないことがわかると思います。


 ごったんの場合は、沖縄三線よりも大きなヘッドになりがちです。本州のものほどとは言いませんが、それに近いサイズにしなくては強度的に持ちません。沖縄三線はオリジナルは黒檀なので、小さく造作しても強度が出ますが、やわらかいスギ材では、小さく作ると糸巻きも小さくなるため、細くてすぐ折れてしまうことでしょう。


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 さて、ネット上に上がっているすべてのゴッタンの写真を見て、なおかつ文献上のすべてのゴッタンの写真を見て検討したのですが、おそらく古い時代のものだろうという写真を2つばかり見つけることができました。


A

https://www.instagram.com/furudougu_and_record/p/Cf5RQvtLEn5/?img_index=1

B

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/304774/


 これらの写真も勘案しながら、古ゴッタンの寸法を推し測ってゆきましょう。


 まず、棹の幅は、三線でも三味線でもおおむね基本的には共通で、24ミリ前後になっています。

 Bの写真を見るとわかりますが、平原利秋さんが持っていた2つのゴッタンのうち、胴サイズは大きく違うものの、棹幅はそれほど違いがないことがわかると思います。

 これは3本の弦を通して人間が弾くには、ある程度の棹幅が必要だからですね。


 Bの写真を元に推計すると、小さいほうのゴッタンの胴幅は約120ミリになります。かなり小形ですね。

 同様に計算すると、大きいほうのゴッタンの一番せまい同幅が150ミリ。そこから両側へ張り出していますから、現行とおなじく180ミリ程度の同幅があることがわかります。


 ゴッタンの胴は長方形なので、縦長なのですが、小さいほうのゴッタンで約138ミリ程度となります。これは同じサイズの板を4枚切って、縦側が長くなるように並べた時のサイズと同じなので、板の厚みもおおよそ推計できることになります。

 大きい方のゴッタンも、おおよそ180✕200ミリくらいのサイズ感と思います。

(この写真では胴厚みは少しわかりにくいですね)


 同様に、Aのほうのサイズも推計してみましょう。


 棹幅24ミリとして胴幅は140ミリ弱という感じでしょうか。Bの古ゴッタンよりは、ひとまわり大きそうです。

 胴厚みは棹幅の2.5倍くらいに見えるので、60ミリ程度でしょうか。

 胴の縦横は140✕160くらいにも見えます。全長は約700ミリ程度になります。

 もし仮に棹幅が数ミリずれていたとしても、730ミリくらいにしかならないので、「2尺5寸」よりもやや小さいサイズだろうと推定されますね。

 ヘッド部分は100ミリ〜105ミリ程度になりそうです。


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 注意が必要なのは、ゴッタンが「子女のための楽器」でもあったことです。男性が用いず、女性向け、あるいは女児向けだったとすれば、残っているゴッタンのうち古いものほど「サイズが小さい」可能性は十分に考えられます。Bのゴッタンなどは、あまりにも小さいので、そうした用途だった可能性も念頭に置く必要があるでしょう。



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 そうして考えてゆくと、尺貫法で見た時、現代のゴッタンはおおむね3尺、古ゴッタンは2尺五寸として、


■ 全長 2尺5寸 約750〜760ミリ

■ 棹幅 8分   約24ミリ

■ 同幅 5寸   約150ミリ

■ 同幅 5寸+板厚み 約170ミリ

■ ヘッド長 3寸 約91ミリ

■ 胴厚み 2寸  約60センチ

■ 糸蔵幅 5分  約15ミリ

■ 表板裏板 1分 約3ミリ


くらいを狙いどころにしてゆくことになるかもしれません。



 ざっと図に書き起こしてみるとこんな感じ↑


 バランス的に見て、荒武タミさんの「太郎」にぐっと近い感じと思われます。

 

 橋口さんの動画を見て推定すると


 胴サイズは150✕170程度(推定)なので、かなり近いと思います。

 ただし棹長さは、太郎のほうが長そうですね。


 さて、今年は、」これを作ってゆきましょうか。

 

(つづく)

2024年1月2日火曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む08 三味線系楽器の「長さ」の理由

 

 さてみなさんこんにちは。


 前回までの一連の調査で「うっすらと」ごったんの正体が見えてきたところですね。


 ■ ごったんは、沖縄三線の写しであるが、システム化されず、楽器としては「素人(ただし木工については職人)」が真似したものだ


というあたりが、その中心部分になることでしょう。


 その原型は、「全長二尺五寸」で間違いないと思います。研究者によれば沖縄の三線も「二尺五寸」の可能性が高いことと合致するからです。


 ではなぜ、「沖縄三線」「奄美三線」「ごったん」は短いのか。そして「本州三味線」は長いのか。


 その謎についても、ズバリ迫ってみましょう。


 今回、三線系楽器の成り立ちや構造を調べてゆく中で、各地の民謡や音楽がどのように演奏されているかも合わせて視聴してゆきました。

 すると、はっきりとその傾向がわかってきたのです。これは演奏者じゃないと気づかない視点かもしれません。


 私は地唄三味線が最初に触った楽器でしたが、地唄など、古い時代の三味線音楽は「メロディ演奏を行うが、3本の弦を比較的まんべんなく使う」という傾向があります。

 三味線の音楽を「ちん・とん・しゃん」と表現したりしますが、どの弦も弾くから「ちん(細い弦)・とん(中弦)・しゃん(太い弦)」の音が出ているわけです。


 浄瑠璃などは、ベース音である「一の糸(太い弦)を多用して、「デデン、デンデン」と弾くことが多いので、低音寄りです。


 それに対して、長唄など、時代を経るに従って「高音部分、ハイトーン」の領域が増えてゆく傾向があります。歌舞伎の獅子ものなどの楽曲をイメージするとわかりやすいですが

「チャカちゃんチャカちゃん、チャカチャカチャカチャカ」

と、高音部を速く弾くメロディが多用されます。


 この場合、棹が長いほうが、勘所を正確に押さえやすいのです。棹が短いとフレット間が詰まりますから、ハイトーン部分は、勘所間がものすごく短くなり、押さえにくくなります。


 ということは「長い棹」は音程の上下を激しく取りやすいということになるわけですね。(音域そのものは、どの三味線でも同じです)


 それに対して、沖縄三線の場合は特殊で、これもメロディを弾き、なおかつ3本の弦をまんべんなく使うのですが、「手の位置が固定」という奏法上の特徴があります。


 つまり乳袋に左手親指の付け根を当てた時、そこから左手はいっさい動かさず、指だけを伸ばして勘所を押さえるので、ハイポジションを基本的には使わないのです。

(棹の中間くらいさえ、ほとんど用いません。常にローポジション固定です)


 ということは、ハイポジションが不要なので、棹は開放弦近くさえ弾ければよいことになり、棹は短くてかまわないということなのでしょう。


 中国三弦がもともと長いのに、沖縄三線が短くなったのは、そうした理由だと思われます。


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 さて、ではゴッタンはどのように考えればいいのでしょう。


 南九州の音楽、それも本州サイドの音楽は「ジャンカジャンカ」であることを以前から述べていますが、これは棹の真ん中あたりの音階を押さえて、右手は上下にストロークで弾きます。

 メロディラインは少なく、バッキングのみですから、中音領域ばかりが、同じリズムで繰り返され、あまり展開しません。


 沖縄三線のように、左手固定ではないけれど、ハイポジションまでは必要ない、というのが、本来のごったんのスタイルでしょうから、一応、理に適っていますね。


 ところが、おそらく戦後などに「よそから入ってきた民謡」なども弾くようになった時、どうしても三味線の「領域の広さ」が求められるようになった可能性があります。「荷方節」などはもともと秋田の民謡ですが、本州各地の民謡や荒武さんのように「語り物」などが演奏されるようになってきたおりには、ある程度の「棹の長さ」が必要になってきたのだと思われます。


 こうして、ゴッタンの棹は、当初に比べて長くなり、三味線に寄っていったものと考えられるのです。


(つづく)

  

2024年1月1日月曜日

【連載】 謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む07 ごったんは「どこの」楽器なのか?

 

 さてみなさんこんにちは。


 謎が謎を呼ぶ展開が続き、完全に沼にハマってしまっているようなこの連載ですが、それでも少しずつ、絡んだ糸がほぐれるような、そんな気持ちも生まれてきている今日このごろ。


 前回までのお話で、沖縄三線や奄美三線との比較も踏まえて、「ゴッタン」の中心部分に「ジャンカジャンカ」の音楽があり、それは沖縄三線とも奄美三線とも、本州の三味線とも「違う」というところまでたどり着きました。


 そこで今回は、「ごったんはどこの楽器なのか?」という次の謎に向かって、ゆるゆると歩みを進めて見たいと思います。


 どこの楽器か、という問いは、ときに重大な事実を浮かび上がらせます。


 面白いことに「奄美三線」の歴史を見てゆくと、興味深い事実が浮かび上がってくるのです。


https://kyanma.com/music/amami-roots.html


上記記事には、いくつかのポイントが載っています。


■ 奄美三線が普及するのは戦後である。沖縄から持ち込まれた。

■ 三線を持てるのは、金持ちであった。

■ 奄美本島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島のうち、前の3島は日本音階である陽音階、後の2島は琉球音階。


https://amami-horizon.com/culture/island-song/about-island-song


また、他の記事ではいくつか補足的事項がわかります。


■ 本来、奄美や沖縄における楽器は「太鼓」であり、三線はあとから入ってきている。

■ 沖縄同様、奄美でも本来は男性中心の楽器で、女性が弾くのは最近になってから。

■ 島唄は形式上は「琉歌」であり8886。それなのに音階は本州式。

■ 7775形式の近世小唄が、後で入ってきており、その代表が「六調」


https://sakai-sanshin.com/sanshin/okinawa-amami.html


■ 奄美では戦後、本州の三味線もさかんに演奏されていた。

■ その影響もあって弦が黄色。


https://www.nankainn.com/news/local/%E5%B9%BB%E3%81%AE%E4%B8%89%E7%B7%9A%E3%81%AE%E9%9F%B3%E8%89%B2%E3%82%92%E6%8A%AB%E9%9C%B2-%E5%A5%84%E7%BE%8E%E5%B8%82%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E5%B3%B6%E5%B2%A1%E3%81%95%E3%82%93


■ 徳之島の最古の三線は、文政8年に「渡慶次」氏によって作られたものを、旧阿権村(現・伊仙町阿権)を治めた尚(たかし)家の2代目直富が沖縄・首里を訪れた際、もみ30俵で買った品


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 これらを総合すると、奄美の三線は、やはり沖縄三線を持ち込んで、少し改変したものだとわかります。

 音楽的に本州の音階であったため、それに寄せる工夫がなされたと考えられるでしょう。


 さて、今日のテーマである「どこの楽器か」についてです。沖縄三線と奄美三線が、基本は同一であることが判明したので、どちらも共通して考えればいいのですが、三線という楽器は「琉球黒檀(黒木)」の棹に「イヌマキ(チャーギ)」の胴、それにニシキヘビの皮を張ることで構成されます。


 この構成は、木材こそ沖縄で採れますが、ニシキヘビの皮は確実に輸入に頼ることになります。つまり、琉球王朝時代においても現在でも、「交易」なくしては存在しないことになるのです。


 本州の三味線も、実は似たところがあって「紅木」「紫檀」「花梨」などで作られる三味線は、すべて南洋材であり、本州では採れません。低級な楽器としては「樫」で作られるものも多くありますが、基本はこちらも「交易」がなければ成立し得ないものだとわかります。


 このように「交易」がないと作れない楽器であるということは、「多数の人間が関わっている」ことを意味します。海外との交易においては、近世であれば幕府や王府の許可が必要であり、朱印船貿易ではないですが、「免状を持ったもの」が輸入してくる材料であることを意味します。


 材料が入ってくれば、それが流通し、楽器の作り手のもとへ金銭交換で届けられます。その材を「配送」する人間も存在していなければなりません。


 こうした「システム」との関わりは、それが「時の政府、公的な存在」によって認められている必要性を生みます。禁制の品であっては、海外から材を取り寄せることが不可能だからです。


 したがって、本州の三味線は「秀吉」が絡んでいたことも、沖縄三線は「琉球王朝」の公的楽器であったことも、そこにつながってくるのです。


 三線や三味線は、「公的存在が介在」しており、なおかつ「多数の人間がシステマチックに関わっている」ことが判明したのです。だからこそ、


『三線や三味線は、それぞれ定型化されたデザインが確立している』


ことがわかります。


 本州でも沖縄でも、本来これらの楽器のそれぞれの部位を作る職人は別々ですが、(棹と胴、皮張りは、店そのものが異なる)そうしたことが可能なのは、「規格が決まっている」からであり、それは「多数の人が関わって、分業やシステマチックに材料を準備することが可能だから」ということになるでしょう。


 この話こそが以前にお話した「天神がある」とか「乳袋がある」とかの形状に関わってくるのです。三線や三味線には、スタンダードな形状が確立されていて、多少の変化はあったとしても、全てはそれに倣って作られるから、秀吉の時代から現在まで形が同じ、ということが生じるのです。


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 それに対して、「ゴッタン」の形状は、かなり心もとないことがわかります。現存するゴッタンのサイズや寸法はバラバラで、「レファレンスモデル」のような規格化されたデザインがありません。

 角材と箱だけのものから、三味線を模したものまで、バラエティに富んでいるのがゴッタンの特徴ですが、これは「公的システムが介在していない」ことを意味します。


 王府も幕府も、この楽器には関わっておらず、権力者が絡んだことがない楽器だと推理できます。


 材料においても「杉」のみですから、縄文杉で有名な屋久島などではそもそも自生している材料で、「交易が必要ない」ことがわかります。


 いや、おそらく「交易を必要としない楽器」だったのではなく、「交易に絡めなかったから、杉だけで出来ている」のが正しい表現ではないでしょうか?


 つまり、ゴッタンは、「交易できない立場の人間が、作ったものだ」ということになります。それは、庶民中の庶民です。


 天神がないこと、乳袋がないことなどは、システム化された職人集団や楽器の規格がゴッタンに無関係だからなのではないでしょうか。もっと言えば、三味線や三線には存在する「装飾的デザイン」そのものが、ゴッタンには存在しないわけで、つまりは


『ゴッタンは素人が、見様見真似で作った楽器である』


ことを示してゆくのです!


 システム化された楽器製造をしていると、三線や三味線のように「より硬い木材」を求めて性能がアップしますが、杉は木材の中でも極端に「柔らかい」ほうの材質で、楽器には適しません。

(国内でいちばん柔らかい木である「桐」が、琵琶の表板として使われますが、本体は桑などが用いられます)


 ということは、ゴッタンは「楽器の性能を求めていない」楽器だということになります。


 だとすれば、何度も言いますが、この楽器は、おそらく「沖縄三線を見た誰かが、身近にあるもので、もっとも簡単に再現した、工作であった」のでしょう。


 まるで焼け野原の中で米軍のゴミから「缶から三線」が出来たように、「そこらへんにあるもので、三線みたいなのを作って弾きたい」という願望から出来た楽器だと推理するのが、一番合理的なのかもしれません。


 さらに言えば、沖縄から鹿児島まで「太鼓」文化があります。太鼓は皮張りですから、皮を張る技術は存在することになります。ということはゴッタンに皮を張ることは技術的には不可能ではないし、別に牛皮などのゴッタンが存在していてもおかしくはなかったはずです。

 しかし、実際にはそうしていない。

 ということはこの楽器には「皮張り職人が絡んでいない」ことをも意味します。あくまでも「木工作」だけを生業とする人間だけが、製造したことを暗示するわけです。


 大工や指物師が、沖縄の三線を知って、それを真似したもの、それがゴッタンの正体だと思います。

(古いゴッタンは竹釘で留まっているそうです。竹釘は檜皮葺や指物で用いますが、建築系の職人がゴッタンづくりに関わっていたことを直接的に意味します)


https://www.instagram.com/furudougu_and_record/p/Cf5RQvtLEn5/?img_index=1

(古いタイプの作例。竹釘が見え、棹は一木作り。本州の三味線は形状的に必ず「ニカワ」を使わねば作れない箇所があるが、ニカワを用いるということは当時の被差別部落におけるニカワ製造と密接に関わることになる。三味線の皮しかり。ニカワが流通し、それを使って作るというシステムに「乗っかった」上でないと三味線は作れないが、ニカワを用いないとなると、システムと無縁で作成することができる。

 余談ながら現在の沖縄三線は接着剤を用いるものの、本質的にはニカワを用いずに作ることができる。皮張り部分は本州のものでも餅糊である)


 面白いことに、「それを真似する人が、さらに増えた」ということです。今となっては、どこが、どれがオリジナルの「ごったん」だったのかはわかりませんが、そういう地場文化的に広がったのが、この楽器の真実だったのかもしれません。


 さて、今日のテーマです。ごったんは「どこの楽器」なのか。


 材料はスギ一択です。このスギという植物は、実は「日本の固有種であり、日本原産」のような木材です。


 つまり、ゴッタンこそが、三味線系リュート属の中でも、純粋に「国産」の楽器である、ということになるでしょう。 


 「テコサンセン」(太鼓三味線)という言葉が薩摩に存在するように、「さんせん・しゃみせん」という語はちゃんと存在するわけですから、本来ならその影響を受けても良いはずですが、「ゴッタン」という完全に無関係な語がついている点も気になります。


 不思議なことながら「ごったん」は「さみせん、しゃみせん、さんしん、さむしる」などではいけなかったのでしょう。


 なぜか?


 謎はまだまだ続きます。


(つづく)