2007年12月27日木曜日

【三線ism】 上々颱風の思い出



さてみなさんこんにちは

 中部地方のとある映像コンテスト入賞の知らせが入り、今度はわたしも大会参加予定です(^^

 これで今年も終わりなので、結局今年は4本入賞といったところでしょうか。去年の6本には見劣りしますが、とりあえず継続は力なり、ということでほそぼそと・・・。

 まあ、ひとつは大林宣彦氏(映画監督)が審査員で、大御所のお目にとまっただけでもありがたいm(_ _)m

どちらかというと、私の作品はNHKがらみの人に受けがいいのですが(^^;ドキュメンタリーが多いからです。


 さて本題。いまでこそ普通のサラリーマンをしている私ですが、昔は小説家になりたくて、大学も文学部を選びました。それがいつのまにか、文字メディアにはあまり興味がなくなって、映像の方に傾いてしまっているのですが、基本的なところは同じです。

 文章の技巧に凝ろうが、映像に凝ろうが、筋書きを立てて、論理的に文章で構築して、見る人や読む人に伝達する、という意味では通じるところが大きいと思うのです。

 当然、ラジオドラマのようなものであっても、演劇であっても、基本は同じだと思います。


 そもそも私が三味線に興味を持ったのは「演劇」でした。木の実ナナさんの「阿国」というミュージカルがあって、その初演の頃にテレビで偶然見ていたのです。


 阿国というミュージカルは上々颱風が音楽を担当していて、(いまでもそうですが)紅龍氏がバンジョーに津軽三味線の弦を張って弾きまくる、という芸(笑)を披露するのです。


 それを見ていて、「これをやりたい!これはおもしろい」と思ったのが当時18歳の左大文字少年で、祖母の家の納屋から三味線を探し出し、文化祭の演劇で「三味線が弾ける内容の劇」を考え出して、クラスの全員を巻き込んでやってしまった、というのが原点なのです(^^


 阿国では、音楽は舞台上で生で弾いてしまう、という演出がなされていたので、もちろんそれも踏襲しました。(通常のミュージカルも生演奏ですが、演奏者はオーケストラピットの中に隠れています)


 和太鼓のでかいやつを借りてきてステージサイドに置き、三味線もキーボードも観客から見える状態で生で弾く、という荒業をよくもまあ、我ながらやったものです。

 
 で、物語の内容は、薩摩藩によって「島分け」された沖縄の若者の悲恋物語・・・で、とにかく資料をあさりまくって「琉球哀恋 LOVE&REVOLUTION」を不肖わたくしが書き上げたわけです。

(なんかパッチギみたいなタイトルですが、今から15年も前のことです)

 当時は、まだ管理教育の気配が残っていて、私たちも団塊jrなものですから、「権力(センセイ)は敵じゃ~!」みたいなオーラがムンムンなわけで。当然、物語も薩摩藩に抵抗して反乱を起こした島の若者達の話になるわけで。

 いやあ、若いですよ。自分。思い出すだけで、はずかしくなります。


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