2007年8月17日金曜日

【三線ism】 家元のおはなし



さてみなさんこんにちは

 私の小学校からの友人は、ほんとうの『家元』なのですが、先日彼と話す機会がありました。

 私のような偽家元(笑)とはちがって、彼の場合は「いけばな」の正式な流派の家元で、私とおなじ30代なのですが、家業を継いで「家元」として活動しています。

 いけばな協会からもちゃんと認められている本当の「家元」からすれば、私のようないいかげんな自称「家元」は恥ずかしいくらいなのですが、彼に言わせると「そんなたいしたもんじゃないよ」とのこと。

 いけばなの世界でも、新しく流派を立てることは珍しいことではなく、逆に「家元」だからといって、所属しているメンバーが少なければ、それだけでは食べていけないわけで、いろいろと興味深い話を聞きました。

 そもそも家元制度は、「ある芸事」の「技術や知識」を効率よく伝承し、かつその技術を持っている集団が「利権を守る」ためにあるわけで、昔はそうしたシステムが機能的に成り立っていたわけです。ところが現代になると、昔から脈々と続く「家元→弟子」の組織があればよいですが、そうでない場合は、一種のお稽古事として生き延びるすべを考えなくてはならないわけで、流派によっては英会話学校のようにチケット制を取り入れて技術を教えるところなどもあるそうです。

 彼の流派も小さいので、いろいろと教室のあり方を考えたり、広報手段を検討したりとなかなか大変なようです。

 で、最後にばっさり「伝統芸能は、やっぱり難しいわ。『伝統』だから、現代にマッチして生かしてゆくというのは、なかなか簡単じゃない」とのお言葉。なるほど、「現代に伝統を生かす」ことは難しいのかもしれません。

 「伝統」はある意味、「現代」と真逆のベクトルなのかもしれません。


 で、彼にわたしが「最近三味線のほうに力いれてんねん」という話をしていて勝手に「左大文字流」を名乗っていることを告げると、批判されるかと思いきや、爽やかに微笑んでおられるわけで。

「伝統芸能というのは、最初はみんなそんなことからはじまっているから、面白いやん。いいんじゃない」といった感じでした。

 さすが、大物ですm(_ _)m


 さて、わが左大文字流、広まるか廃れるかは世間のみなさん次第なわけで。別に現代に『家元』制度を展開するつもりもないので、コード弾きが広まればOKということで。

 ギターにはかなわなくても、せめてウクレレといい勝負ができるように祈っています。


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