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2007年10月8日月曜日
【三線ism】 チターと「第三の男」 ~音楽市場はゲーム機とおなじ~
さてみなさんこんにちは
昨日、ウルルンで面白い内容をやっていました。大友康平氏が絶滅しかかっている楽器「チター」の最後の職人の元を訪れる、というものでしたが、ご覧になったかたおられるでしょうか?
チター(ツィター)は寝かせて弾く台ギターに、コードとベース用の複弦がたくさん張られている楽器です。ギター部分で主旋律を弾き、同時にコードとベース音も鳴らすことができます。
このチターが、演奏人口も激減し、楽器そのものも絶滅の危機に直面しているらしい、というないようのドキュメンタリーでした。
肝心な大友氏は、複雑な楽器を前にして「僕はギタリストじゃなくてボーカリストなんだ~」と終始ビビッっておられましたが、それはおいといて(^^
奇しくも先日から、「ハードウエア」としての楽器と「ソフトウエア」としての楽曲の関係について述べていますが、このチターの現状がまさにそれでしたね。
番組中、何度もかかったあるメロディ、そして、楽器職人さんや関係者が口々に同じことを言うのが印象的でした。
かかっていたメロディは「第三の男」のテーマ。そして、彼らは「『第三の男』以降チターの曲はヒット曲が出なかったから廃れていったんだ」と言うのです。
チターという楽器は、もちろん、どんな音楽も奏でることができる。しかし、「第三の男」のヒットで需要が増えたし、逆にヒット曲がそれで途絶えたので、楽器も衰退したという事実。
これは考えさせられる内容です。
ピアノやギターといったメジャー楽器はまあよいとして、民族楽器やマイナーな楽器は、このソフトウエアの「ブーム」に翻弄されることがあると思います。
ブームによる熱気は当然歓迎できますが、同時に「熱が冷めたあとの」楽器のあり方も忘れてはいけません。
三味線でいえば、じょんがらのブームで太棹(東さわり付き)の「津軽三味線」はある程度の勢いがありますが、その他の三味線は絶滅危惧種です。
吾妻さんや吉田兄弟など、ある程度間を空けないように「スター」を送り出しているからこそ、下火ながらもブームの残り火があるのでしょう。
三線の世界では(沖縄県外と県内ではかなり様相が違いますが)、THE BOOMの島唄から本土では三線が認知され、その後ビギンや夏川りみさん、今のやなわらばーに至るまで「コンスタントにソフトが投入されている」からこそ、市場が盛り上がっているといえるでしょう。
つまり、「ソフトがなければただの箱」ということが、実は楽器の世界にもかなりあてはまるわけです。
もっとつきつめれば、昔は任天堂VSセガ、そして今は任天堂VSソニーのゲーム機に関わるマーケティングと「伝統芸能の継承と発展」は、
おなじテーマと原理
なんだ!と言ってもいいわけです。
ということは、いま伝統楽器の復活のためにいろんな活動があるけれども、単純な「伝統への回帰」や「鑑賞機会の拡充」では、伝統楽器は復活しない、という仮説が立てられるわけですね。
「長唄をなんぼ聞いても、六段の調べがいくらかかっても、民謡がいくら聞こえてきても
ダメ・無駄・ムリ!」
だという仮説です。
その楽器を発展させようと思ったら、「いま、まさにon timeな音楽」である新製品ソフトウエアを投入する必要があるわけです。
沖縄民謡のすごいところは、いわゆる古典から、民謡、新作民謡、そして歌謡曲・ポップスにいたるまで、すべてのジャンルが「いま」に向かって連綿と続いているところだと思います。
ビギンがポップスと民謡を同時に歌う。これは、福山まさはるがライブで炭鉱節を歌うことに匹敵します。幸田くみは河内音頭を歌いませんし、東京音頭を歌うシンガーソングライターはいません。
だからこそ、左大文字流の活動は、「意味がある」という結論になったのですが手前味噌でしょうか?(^^;
三味線を愛するがゆえに、わたしは地唄を裏切るし、三線を愛するがゆえに、わたしは工工四から離反しています。
あとは、もっと三味線・三線をポップに演奏できる「ソフトウエア(楽曲)が必要ですね。
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