2008年6月26日木曜日

【三線ism】 再発見された沖縄 宮沢和史と上々颱風を通して




 さてみなさんこんにちは

 今日は、仕事中に車で流していて、FMラジオを珍しくつけていたのですが、「宮沢和史」さんのインタビューをやっていました。宮沢さんといえば、あの「THE BOOM」の宮沢さんですね(^^

 われわれ三線ニストには、いろんな意味で「島唄」という楽曲は外せないのですが、宮沢さんは、沖縄音楽にインスパイアされたいろんな音楽を製作なさっています。最近はブラジル音楽にも興味をもっておられるようで、GANGA ZUMBAというバンドで活躍されています。

 島唄のヒットで、BOOMと宮沢さんは沖縄出身者との誤解のようなものも多々あるらしいのですが、本人は山梨県出身です(^^;

 沖縄音楽について考えるとき、「島唄」はいろんな問題を提起している楽曲でもあります。
 ひとつは、沖縄県人ではない作曲者から発信された沖縄音楽のあり方についての議論でした。沖縄音楽は懐が深いので、「島唄」はけして排斥されることなく、むしろ歓迎をもって受け入れられたのですが、それでも、島唄のヒットは、「沖縄音楽のアイデンティティ」について、いろんな議論を生んだことは確かです。
 もうひとつは、「島唄」という名詞が、実は奄美民謡に対しての呼称だったのに、BOOMの楽曲によって、沖縄民謡全体を「島唄」と呼ぶような誤解が生じてしまった点です。この問題については、実は解決しておらず、いまだに私たちは一般名詞としての「島唄=沖縄地方の民謡」というイメージを持ってしまっているのです。奄美の人は、いろんな想いがあると思いますが、基本的に沖縄の人も奄美の人も、心が豊かなので、そのことをもって目くじらをたてて「糾弾」しようとするようなことはまったくないです。
 両者に通じることですが、やっぱり沖縄・奄美の人々のおおらかさや心の豊かさを感じずにはいられないエピソードですね。

 
 さて、上記のように「島唄」は、ある時期沖縄音楽ブームの中心となったのですが、このころもう一組、沖縄音楽を再発見したバンドがありました。それが「上々颱風」です。


 ちなみに私は、本州サイドからみた沖縄音楽史を大きく3つに分けて概観しています。

 第一次沖縄音楽ブームは、喜納昌吉さんや知名定男さん・ネーネーズなどの本土復帰を中心とした時代です。
 第二次沖縄音楽ブームは、1991ごろからの「THE BOOM」「上々颱風」をはじめとした県外者による「沖縄音楽の発見」の時代だと思います。
 そして、第三次沖縄音楽ブームは、BIGINや夏川りみさんなどの近年ですね。

 第一次を沖縄民謡を源流とした「沖縄歌謡」の時代と見ることもできます。第二次は、「沖縄音楽を外部から再発見した時代」でもあります。そして、第三次は、「沖縄発の音楽と全日本的規模なポップスが完全に融合した時代」ともいえるでしょう。



 さて、話を上々颱風に戻しましょう。コード弾きの問い合わせで「上々颱風をやりたいんです!」というメッセージがあり、すごく懐かしい気持ちがしました。「そういえば上々颱風よかったなあ」というそれこそ高校時代の思い出です(^^

 上々颱風はまだまだ今でも活躍なされているのですが、航空会社のCMタイアップ曲「愛よりも青い海」が大ヒットしたので、どうしてもその頃の印象が強いバンドです。

 「愛よりも青い海」は、全然沖縄音楽ではないのですが、航空会社の沖縄キャンペーン曲だったために強烈に「沖縄的」な印象がついてしまった楽曲でもあります。もちろん、そうなるには当然の下地というものがあります。

 まず、上々颱風は、バンジョーに三味線弦を張った紅龍さんの「三弦」という楽器を中心に構成されたバンドであること。そして、上々颱風の楽曲は沖縄やアジアをはじめとした「民族音楽」というベースをしっかりともって製作されていることがあるでしょう。

 その意味では、THE BOOM同様、民族的な要素を大切にしたバンドで、そうした人たちがまっさきに、もっとも身近な外界(外国ではないけれど、きっと異文化であるには違いない場所)である「沖縄」を問い直そうとしたのは当然のことだったかもしれません。

 第一次沖縄音楽ブームでは、沖縄側からの文化の発信でしたが、第二次沖縄音楽ブームは本州側からの返信だったのかもしれません。

 第三次以降、音楽を通しての沖縄と本州の交流はずいぶんと深まったような気がします。もう、民謡もロックもポップスもバラードも、すべていい意味で「チャンプルー」されてしまい、沖縄県人からの発信でもいいし、県外の人がそれをやってもおかしくない機運になっていると思います。
 なんといっても、黒人の人が演歌を歌っても大丈夫な時代なのですから(^^まさしく音楽はボーダーレスであると思います。

 左大文字流は、そういう時代だからこそ、みなさんに興味をもってもらえているのではないでしょうか。まったく同じコトを15年前に発表しても、これほどまでに反響はなかったと思います。
 時代が、文化が新しい音楽を作ってゆく一助となれば、うれしい限りです。


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