2008年3月1日土曜日

【三線ism】 三味線の哲学 三線の哲学 その2




 さてみなさんこんにちは

 哲学シリーズ第2弾ということで、今日は三味線寄りの話をひとつ。

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 昨日某ラジオを仕事で車を運転しながら聞いていると、おそらくラジオ界でもめったにかかったことがないと思われる名盤(迷盤?)を放送していたのに出くわした。

 もうレコードでしか存在しない「寺内タケシVS三橋美智也 津軽じょんがら節/黒い瞳」というシングルなのだが、これがものすごく面白い一枚なのである。

<参考>http://dribox.g-serve.net/kayopop/GS/Bunnys/Bunnys.htm

 なんでも、エレキの神様寺内タケシと津軽じょんがらを広めたといってもいい三橋美智也がセッションするというモノで、ほとんど打ち合わせなしに一発録りしたというのだから、面白くないわけがない。

 もちろん、ご両人はその前後に、ステージでなんどか共演・セッションを重ねていたそうなので、スタジオ録音であってもそれなりに呼吸を合わせることはたやすいことだったのだろうが、この企画そのものも、なんだか今、左大文字流で議論していることにつながるような気がして、思わず聞き入ってしまった。

 演奏は、それぞれのそれぞれらしいフレーズを中心にしたセッションで、たとえばエレキでじょんがらっぽいフレーズを弾くと掛け合いで三味線が入る、またエレキが入って三味線が・・・みたいな、基本ラインを統一しつつもそれぞれの楽器が主張しまくるというパワフルなものだった。

 ラジオではA面もB面もかけてくれたのだが、つまり、A面の「津軽じょんがら節」では三味線の世界にギターが合わせるアプローチ、B面の「黒い瞳(ロシア民謡)」ではギターの世界に三味線が合わせるというアプローチになっているのである。

 このセッションを聴いていろんなことを感じたのでまとめてみよう。

 まず、この盤が録音されたのが、1967年だということへの驚きである!私は1974年生まれなので、わたしが生まれるはるか前から、三味線をロックしてみるような試みが実際にやられていたということなのである。吾妻さんやら吉田兄弟がメジャーになった今だと、ロックな三味線なんて「また誰かがやってるわ」みたいな感じで当たり前なのだが、昭和43年となるとその先進性には感服してしまう。

 しかし、逆に分析してみると、今どれだけロックでポピュラーな三味線がブームになったとしても、「あれ?音楽性でいうと、この寺内・三橋のレコードからあまり進化してないぞ?」ということにも気付くのである。三橋さんも吾妻さんも吉田Brosも、よく聴いているとロックな基本ラインの上であくまでも「津軽っぽいフレーズ」を中心に楽曲を構成しているわけなのである。

 もちろん、三橋さんの場合は、よく聴けば弾いているのは「津軽三味線のフレーズそのもの」である。マイナーコードのベースラインに合わせて、いつものように三味線を弾けばそれらしい楽曲が構成される。それから言えば、吾妻さんも吉田Brosも、現代らしくいろんな改変を加えているが、その本質において「三橋三味線ロック」を超えていないのではないか?まだ、その域を脱してはいないのではないか?とつい思ってしまうわけなのだ。

 世に三味線でロックする人は多々いるが、その人たちはまだ「ベベベンベンベンベン」と聴こえる演奏にどうしても縛られているのではないか。それじゃあ、もったいないだろう!

「ベベベンベンベンベン」は三味線の本道だが、私は「ジャンジャーンジャカジャカ」と聴こえる三味線も弾きたいし、「ポロロンポロン」と聴こえる演奏もしたいのだ。

 今年は2008年、エレキギターにとっての大先輩寺内タケシ氏と三味線の大先輩三橋美智也氏がやろうとした最初の試みから40年が過ぎようとしている。
 その40年で、ギターはどうだ?どうなった?・・・これは先人の編み出した技法を受け継ぎ大いに発展したし広がったように思う。
 では、三味線はどうだ?どうなった?・・・ギターと同じように、大きな発展をぜひとも遂げさせたいと心から願う。40年エレキの進歩には遅れてきたけれど、いまこそ追いつき、追い越せそうな気がするのだが、ちがうかな?(笑)





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