さてみなさんこんにちは。
2023年の年の瀬になって、鹿児島や宮崎の民俗楽器である「ごったん(ゴッタン)」のファンの方からお誘いを受けて、全国に広がるネットワークめいたものに参加させていただくことになりました。
そこでの話や成果などについては、今後いろいろな形で公開されたり、読者のみなさんにフィードバックされることと思いますので、お楽しみに。
さて、その「ゴッタンマニア」の人たちとオンラインでいろいろお話させていただくうちに、
「実は”ごったんとは何か?!”について誰も知らない」
ということに気づくようになりました。
みなさん、鹿児島方面にお住まいであったり、本州にお住まいであったりする人たちなのですが、「ごったん」が好きで、それぞれ思い思いにアプローチはしたものの、その実像については、触れれば触れるほど謎が深まる様子なのです。
” ふわっとしたゴッタン像はあるけれど、実はそれが正しいのか、それ以外に真の姿があるのか、誰もわからないまま、ただその魅力に引き寄せられているような状態。
「ごったんで弾くべき曲」や「ごったんらしい曲」も、ふわっとしていて定かでない。
もちろん、ごったんとしての楽譜はないし、民謡や小唄や端唄などの他流の「三味線音楽」が流入しているような気配もある。”
追いかければ追いかけるほど、謎が深まるこの楽器は、まさにミステリー小説のようでもあります。
そこで、別アカウントで「歴史屋」としても活動している左大文字としては、この謎に真正面から立ち向かってみようと思ったのです。
題して ”謎の楽器「ごったん」ミステリーに挑む” という連載ですが、結末はどうなるかわからないものの、ぜひお付き合いください。
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■ ごったん・ゴッタン ミステリー前史
ごったんが”謎”である、ということは、実は言ってみれば「一番最初からの命題・テーマ」であって、この楽器は最初から”謎”に包まれていました。
もちろん、鹿児島地方では、ごったん(ゴッタン)は多くの家庭にあったもので、実際に弾かれていた民俗的な楽器でしたから、その意味では「謎でもなんでもなく」当たり前の楽器ではあったのですが、本州の「正当な」音楽史や音楽研究者からすれば、その存在は「知る人ぞ知る謎の楽器」だったことになるわけです。
なので、本州人や音楽研究者からすれば「なんじゃこりゃ!」というシロモノであり、(悪意なく)”謎”と表現したのは、まあ、致し方ありません。
というわけで、本州サイドから見て、「ごったん・ゴッタン」が一般に知られ、文化史的に定着するようになったひとつの大きなきっかけが、1978年にCBSソニーから発売された「ゴッタン 〜謎の楽器をたずねて〜」(荒武タミ)というレコードでした。
*左大文字は この音源(レコード)を2010年に入手しました。
https://sanshinism34.blogspot.com/2010/12/blog-post_24.html
しょっぱなから「謎の楽器って言うてるやん!」と誰もがツッコんでしまうタイトルですが、まさにこの時点では音楽史としては「謎の楽器」だったわけです。
そして、それは今でも同じで、45年経っても謎のまま、というのは具合が悪い(笑)
なので、じっちゃんの名にかけて、真実はいつも一つ!という謎解きに、これはどうしても挑まくてはならないのです!
さて、もう少し詳しいことを言えば、実はごったんの発見は、その前年に遡ります。
1977年の10月14日に国立劇場で催された「日本音楽の流れ 〜三弦〜」という公演があって、その演者として荒武タミさんが招かれて演奏を披露しています。
実はこの時の公演こそが、本州人にとって「なんじゃこりゃ!」だったのですね。そこでの荒武さんの演奏がインパクト大だったからこそ、すぐ音源の収録やレコード化へと話が進んで行って、翌年のレコード発売につながったということになります。
これをほんのすこしコメディっぽく言えば、東京の音楽人にとっては「我々の知らない、謎の三味線楽器が見つかった!なんだこの珍獣は?!」という感じで、まるでツチノコが出たかニホンオオカミの生き残りが見つかったかのような「謎の楽器」というアオリ方をしたのは、そういう理由があったのでしょう(苦笑)
「日本音楽の流れ 〜三絃〜」では、「琉球三味線・地歌・長唄・義太夫・清元・常磐津・新内・現代曲」などが演奏され、そこに「ごったん」と「津軽三味線」が加わった構成となっていたようで、まさに「三味線音楽の宝石箱や〜♪」という公演だったことがわかります。
三味線音楽に詳しい人が見ればすぐわかるように、「琉球三味線とごったんと津軽三味線」以外は、ゴリゴリの伝統芸能ばっかりで、正統派と呼ばれる系譜に属する音楽です。
(津軽三味線なんかは、実は最近生まれた音楽なのですが、今の若い人にとってはもう「伝統」の領域に片足をつっこんで理解されている可能性もありそうですが)
そうした中で、三味線音楽や三味線楽器のひとつの源流の形として「ゴッタン」が演奏されたのは、まあ「みなさん度肝を抜かれた」ということになるのでしょう。
また余談ながら、この昭和50年代というのは、まだ本州では沖縄の三線すらほとんど知られておらず、当然購入したり入手したりするのも、現地へ行かないと無理な時代でした。
1990年頃になって、やっとわずかな雑誌の通販広告に「三線販売の宣伝」が載るようになったのです。
さて、荒武タミさんを国立劇場へひっぱっていったのは、都城の民俗学者・鳥集忠男さんと、鹿児島民俗学会員の村田さんという方だったようです。
その意味では、ごったんとその文化は、鹿児島方面からの現地発信が源流だったのだと思います。鳥集さんが注目しなければ、ゴッタンは世に出なかったのかもしれません。
けれど、この「鳥集〜荒武ライン」から外へ出ていったゴッタンの情報は、その「鳥集〜荒武ライン」が文化的にも素晴らしく、かつ有能であったがゆえに、新たな弊害を生むことにもなったのでした。
次回は、そこから先へと話を進めましょう。
(つづく)
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