さてみなさんこんにちは
ゴッタンとは何か?という壮大なミステリーに挑むこの連載ですが、前回は1977年、78年に「荒武タミ」という偉大な奏者が「発見」されたことで、「ごったんも発見」されてしまった、というあたりまでお話しました。
この荒武タミさんを言わばインディーズから発掘したのは「鳥集忠男」さんという方で、彼の名プロデュースによって「ごったん」が世に出ることになったのは、素晴らしい結果であると言えます。
このゴッタンが発掘・発見される様子はウィキペディアにも載っているので、ご一読ください。
さて、鳥集さんは、荒武さんの演奏を聞いて感銘を受け、これを世に出すべく、国立劇場の舞台に推挙してゆきます。そして、翌年には音源がレコード化され、公に発売されたのも、前回お話したとおりでした。
並行して、鳥集さんは荒武さんの弟子として、その演奏や楽曲、技法についても継承してゆきます。
また、荒武さんに直接教わった橋口さんという方もいて、私がごったんに興味を持った頃に、一度わずかながら連絡を取らせていただいたこともありました。
前回は「鳥集ー荒武ライン」という表現をしましたが、芸の系譜、系統としては「荒武ー鳥集・橋口ライン」というひとつの線が浮かび上がってくる、という図式です。
■ 荒武ラインの問題点と功罪
さて、ここからは荒武タミさんを線上においた系譜には「実は問題点がある」というお話に入ってゆきます。これはけして、荒武さんや鳥集さんらの系統をディスっているのではなく、学術的な「検討事項」が、実は隠れているというお話です。
鳥集さんや荒武さんの功績が大きければ大きいほど、それは「正統派、正典」化してゆきます。悲しいことにゴッタンの演奏や記録、情報が現在ではとても少なくなっていて、「生きた証人」としてのゴッタン奏者が、基本的には「荒武さんしかいなくなってしまった」ことにその原因があります。
実際にはゴッタンは「多くの家庭にあった庶民的な楽器」とされていますが、一方で荒武さんは「プロの瞽女」でもありました。
このプロとアマの差は、音楽性にいくつかの課題を生じさせます。
たとえば、日本にはたくさんのカワイのピアノがありますが、何かの拍子で日本中からピアノが絶滅して、XJAPANのYOSHIKIの演奏しか記録に残らないようなとんでもないことが起きたとしましょう。
そんな中、古民家からボロボロになったカワイのピアノが複数見つかり、未来人は想像するわけです。
「うーむ、25世紀の現代において、カワイのピアノを使った演奏は、YOSHIKIの演奏記録しか残っていない。ということは、各家庭では、みんなXJAPANのような演奏をしていたのだな!Forever Loveこそが、正当なカワイの音楽なのだ!」
と。 ここでよい子のみなさんは爆笑すると思います。
これが、とてつもないヘンテコな笑い話だということは、誰でもわかることと思いますが、実際にゴッタンの世界ではそれに近いようなことが起きているのが実情です。
荒武さんは、プロの三味線楽器奏者で、実際に(ふつうの)三味線(楽曲)の手ほどきを受けていて、そしてお客の求めに応じて芸を披露する、という方でした。そうすると、その演奏の中には、「プロの至芸」が確実に紛れ込んでいて、「庶民のごったん演奏」とは、もしかしたら差異があるかもしれない、けれど、それをつぶさに検証する人もおらず、荒武さん以降、そこに焦点を当てる研究はない、ということなのです。
実質的に「鳥集ー荒武ライン」がゴッタン情報のデファクトスタンダードになっており、彼らが元気だった時代から45年経っても、それはアップデートされていません。あるいは、「鳥集ー荒武ライン」の音源や情報すら、失われようとしていて、それを確保するので精一杯、という状況も私は知るようになってきました。
だからこそ、ここで一旦きっちりと、「ゴッタンとは何か」ということに再度焦点を当ててみたいと思ったのです。
幸か不幸か、私は本州人なので、外部の視点でこの研究に携わることができます。薩摩や大隅の方からすれば「よそ者が何を言うとんねん」という気持ちになるかもしれませんが、それでもこの連載の最後には、みなさんも思いもよらなかった事実が、どんどんと明らかになってくることでしょう。
その中のひとつとして「ゴッタンの語源」の問題も、ここで提示しておきます。
ゴッタンの語源としては「中国雲南省などの三絃楽器『古弾(グータン)』なのではないか」という説が語られることが多いのですが、この説を唱えたのは鳥集さんです。
ところが、国会図書館の全データを検索しても「古弾」についての情報はゼロです。これだけグーグル先生が発達した現代においても、古弾の形態や情報についての記事がヒットすることもゼロです。
むしろ「古弾」とは「ゴッタンの語源ではないかとされている」という話しか出てこず、循環構造になっているくらい、そもそもの「古弾自体が、謎の楽器」ということになるわけです。
実は私も民族楽器については、ある程度調べており、たとえば「沖縄三線の源流である中国三弦のお友達」としてベトナムの「ダン・タム」などが存在していることは有名です。
https://graphic.nobody.jp/musical_instruments/dantam.html
また、ベトナムの楽器は中国の源流の姿を色濃く残しており、中国で言う「梅花秦琴」や「月琴」にそっくりなものも多数あるほどです。
http://www.vietnam-sketch.com/archive/special/monthly/2004/11/003.html
その中では、箱型の形態である「ダン・ダイ」などは、ごったんにそっくりでもあるのです。
https://graphic.nobody.jp/musical_instruments/dandai.html#google_vignette
こうしたことから、もしかした「古弾(グータン)」は存在するのかもしれないけれど、それは偶然に近いような、鳥集さんの「印象的推理」に近いようなお話なのではないか?と思うようにもなってきました。
もちろん、「古弾」を見てみたい、という熱望もあるのですが、それと同時に、「ではゴッタンの真の語源はなんなのだ?」という気持ちも生まれるようになってきたのです。
そんなおり、1906年(明治39年)に出版された
『鹿児島方言集』 久永金光堂 刊
を発見しました。以下引用します。
■ ごったん ごきたん ごくたん 板三味線(名詞)
とあります。
鳥集さんは大正15年生まれなので、鳥集バイアスがかかっていない、「ナマの鹿児島弁言語データ」ということになるでしょう。
ここでは「ごったん」と「ごきたん」「ごくたん」が併記されており、日本語の言語学者ならすぐにわかる「音便化」がなされていることが発見できます。
私は元高校の国語教師なので、専門的にはこれを「促音便」と言うのですが、元の音が「っ」に変化する言葉の変化がここでは起きているわけです。
例)おじさん → おっさん
せんたくき → せんたっき
すいぞくかん → すいぞっかん
そうすると、明治段階では「ごきたん」や「ごくたん」が生き残っていたわけで、どうも「グータン」説とは離れてゆきます。
しかし、「ごきたん」や「ごくたん」が判明しても、まだ真の語源にはたどりつきません。
そこで、さらなる調査の沼へと沈み込んでゆくのでした。
(つづく)
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