2008年7月3日木曜日

【三線ism】 三味線哲学 左大文字ひとり語り



 さてみなさんこんにちは

 「浜崎あゆみみたいな感じで、江戸時代に流行っていた音楽って、どんな音楽ですか?」

 ・・・というテーマの記事が、7月号の邦楽ジャーナルに載っていて、「ああ、いつも私が考えてることに通じるなあ」と頷きながら読んでいます。

 この記事は、千葉優子さんの「江戸のニュー・ウエーブ」と題する文章なのですが、簡単にまとめると、三味線音楽というのはいまでこそ「伝統」のように受け止められているけれども、江戸時代当時は、新しく生まれた「庶民派のポップスやロックに近い」ノリの音楽だった、という内容のものです。

 先日も、江戸では「工工四」がみんな読めた?!という内容の記事をここにも書きましたが、三味線音楽のポップス性は、そのことにも関係します。

 たとえば、江戸時代は尺八を吹くのを許されたのは「虚無僧」だけでした。おなじように、三味線音楽も庶民にしか演奏できず、武士は三味線を弾けない、という身分制度と密接に関係した縛りがあったのです。だからこそ、民清楽は、身分にしばられず誰もが楽しめる音楽として広まったわけですから、身分と音楽の問題は、とても重要なファクターだということになります。

 沖縄では本州と逆で、三線は武士と貴族階級にしか許されない楽器でした。現在のように誰もが蛇皮の三線を持てるなんて考えられないことで、三線音楽というのは民謡どころか、超特権階級向けの「宮廷音楽」だったわけです。
 沖縄音楽で「古典」といわれる分野が、この宮廷音楽で、その後、王朝や武士の支配が崩壊したあとに庶民に三線が降りてきてからの音楽が「民謡」となるわけです。

 ここでも、身分と音楽の問題が根底にあるわけですね。

 さて、それはさておき、今回は音楽の「現代性」についてちょっと書きたいと思います。音楽だけでなく「最近の若者のことばは乱れてる」みたいなときに使われる意味の「ことば」なんかもおなじだと思うのですが、音楽やことばは常に「今を生きている」ものだと思います。

 つまり、伝統的な音楽や伝統的な日本語みたいなものがある一方で、いつの世も「今ドキの」「現代チックな」「イケテル」音楽やことばが、世間にはかならず流布するわけで(^^

 三味線音楽だって、はじめは浜崎あゆみだったわけですから、むしろ「しっかりとした伝統」なんてものが本質的にあるのかどうかさえ疑わなきゃならないことになるのです。

 先日の琉球ワールドでみなさんが演奏している三線の音色を聞いていましたが、その大半が「涙そうそう」とかのポップスだったのがある意味苦笑でした。

「なんだ、みんな三線が好きとか、沖縄民謡がやりたいとか思って三線を弾くんだけど、ぶっちゃけ実際は現代ポップスをやりたいんだ」
ということに、気づいてしまったからです。

 邦楽ジャーナルを読んでいても、おなじ現象に出くわします。
「琴によるポップスコンクール」なるものがあって、演奏曲は「キューティーハニー」とか「夜空ノムコウ」とか。
「尺八とピアノとベースでジャズや古典を」というCDとか。「筝で辿るシンガーソングライターの系譜」というイベントとか。

「なんだ、みんな三味線やお琴や尺八で、結局ポップスをやりたいのね」
ということが「伝統音楽」の隠れ蓑のなかに見え隠れしている現実があるのです。

 もちろん、いまのは皮肉っぽいですが、逆に言えば、こういう現代的なアプローチをしなければ、邦楽に見向きもしてくれないという世の中の現実があるとも言えます。そうしなければ、もっと早期に絶滅してるはず・・・、という現実。


 そこで、思うこと。「じゃあ、ぶっちゃけてポップスやればいいじゃん。ロックやればいいじゃん。別にかっこつける必要なんてなくて、三味線の本来の姿、つまり『イマドキ』音楽に戻ったっていいじゃん!」という本音です。

 そう心の中で思っている人たちが、実は左大文字流に飛びついてくれています。メールをくださる人は、かならずといっていいほど2パターンに分かれます。

 ひとつは「邦楽器でそんなことができるんですか!やってみたい!」という人。そして、もうひとつは「これこれ!これがやりたかったんです!ぶっちゃけ!」という人。

 誰もやらなかったことかもしれませんが、実は「誰もがやりたかったこと」が左大文字流なのではないでしょうか?

 だからこそ、コード弾きは邦楽の世界を変える潜在能力がある、と信じています。

「わたしが変える、変えて見せよう!」というコード弾きじゃなくて「みんなが邦楽の世界を、ほんとは変えたがっている」ことが、いま証明されつつあるのかもしれません(^^


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