2015年5月6日水曜日

祝!「日本遺産」 丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶

 さてみなさんこんにちは。

 普段、左大文字は兵庫県篠山市というところを拠点に活動していることが多いのですが、うれしいことにこの度、文化庁の

「日本遺産」

認定第一弾として、篠山のデカンショ節をとりまく環境が認められたようです。


 丹波新聞より
 http://tanba.jp/modules/news/index.php?page=article&storyid=2262

 (篠山市が日本遺産に!「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」)


 デカンショ節そのものは、歴史を調べてみると江戸末期から明治初期にかけて原型ができ、流行したようです。ものすごく古来からの文化、というわけではなく、江戸末期には俗謡や雑歌がたくさん生まれては消えていったので、その一つが残っているということになるのですが、なんと言っても

「学生歌を通じて、全国に広まった」

という意味においては、特筆すべきものがあると思います。 言ってみれば、明治大正のベストヒットミリオンセラーだと言うわけですね。



 さて、そのデカンショ節ですが、戦前は一時途絶えそうになったりしながらも、近年は市や商工会などの努力により夏の「デカンショ祭り」とも連動して、かなり定着するようになりました。

 そうした取り組みと、一応江戸期から続いている俗謡を守ってきたという意味において、たしかに興味深い事例だと思います。


 しかしながら、地元民である小学生や若者はみなデカンショ節のメロディと歌詞は知っているものの、残念ながら


「弾ける」


レベルには到達していないのが実情です。三味線や太鼓、また歌い手さんの技量は、デカンショ節保存会の人たちの活動によって守られているようで、デカンショ節を演奏できる人材は、実はそう多くないのかもしれません。


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 さて、ワタクシ左大文字も、三味線弾きのはしくれではありますが、デカンショ節をきちんと弾いたことはありません。ざっと耳コピくらいはできますが、これも三味線界特有の問題で、


「デカンショ節などの民謡ジャンル」と、私が弾いていた「三曲(地唄)」や「沖縄三線」あるいは、歌舞伎などの「長唄」、東北の「津軽三味線」などは、弾くシステムが全く互換性がない


ということがあるので、 いくら私が三味線弾きのはしくれでも、正式なデカンショ節は弾けないのです。(真似事っぽいことはできます)


 このように、伝統そのものをかたくなに守ろうとすると、そうした技芸は必ず縮小する傾向にあります。一部の人たちのものになった時点で、実は衰退のはじまりだというわけです。


 私の個人的な考え方は、「マス化」することで伝統はいっそう発展する、というものですので、正当なものを守るスタンスにくわえて、やはり誰にでも親しめるものにしたいなあ、と思うわけで(^^


 近年の沖縄三線業界は、やはりそれで一定の成功を収めていると思います。ポップス化した三線が一定数広まったことで、伝統的三線の世界がまたひとつ発展することに繋がっているように思うからです。


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 というわけで、せっかく篠山に縁がある左大文字が、何をしなければならないかと言うと、その目標はとてもカンタン明確ですね(笑)


 はい。デカンショ節を誰にでもカンタンに弾ける楽器を提供することです。


  本来、デカンショ節は三味線で演奏される楽器ですから、実はかなり難易度が高いです。


 これは単純に、沖縄三線が一般に売れたように、三味線とデカンショ節が連動して「売れる」とは全く考えられません。

 
 なので、伝統的アプローチから見れば、三味線人口が増えてほしいという単純な願いがあるのですが、それはマス化には繋がらないと考えます。


 左大文字的には、


①篠山に遊びに来た人が、「デカンショ節を20分以内のレクチャーで弾けるようになる」

②おみやげ価格で楽器を買って帰ることができ、かつ家でもデカンショ節を楽しめる。

③楽器として、他の利用法がきちんとある。


 ことが最低限のポイントだと考えます。


 さあて、和のテイストでまとめるか、それとも洋のテイストとコラボさせてみるか・・・。

  個人的には「デカンショギター」とか面白いネーミングだと思うのですが。
 


 というわけで、開発にとりかかることにしましょうか(^^



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