主よ人の望みの喜びよ 三線単音+コード
さてみなさんこんにちは
最近は雪ばっかりなので、かなり埋もれている左大文字です。私の住んでいる地域は、近畿圏でもまあ、雪降りそうなイメージのところですが、道路がツルツルになるとか、圧雪になることはあまりないので、意外に大丈夫なのです。
しかし、寒いので、外へあんまり出たくないような。
今回アップしたのは、ASOVIVAさんのメルマガ用レッスン動画です。
まあ、でも単音で弾いて、コードに入って、また単音に戻るという基本的な展開なので、みなさんもご参考になさってください。
ギターの世界では、なんといっても「クラシックギター」を演奏する人はすごいなあ、と思います。単音にせよ、コードにせよ、アルペジオにせよ、ギターの要素のすべてが詰まっているし、エレキロッカーにとっても、アンプラグド物なんかやろうとした日にゃ、その技術は結局クラシックギターに回帰してしまうのではないか、と勝手に思ってます。
クラシックギターの奏法で新しい曲をやれば、それはすなわち現代ギターのカテゴリに入っちゃうし。
三線や三味線の世界でいえば、古典や民謡やそういうものがクラシック三味線に当たるわけですが、僕がやろうとしているのは、そっちへの回帰ではなくて、三線や三味線へ「クラッシックギター」の技術の移植することですね。
コード、というのは、そういう意味では一要素でしかありません。
三線コード弾きをやっているみなさんと話しているときに、よく出てくるのですが、「三線の音のとり方は、基本的には分散和音的で、アルペジオ的だ」みたいな話があります。
よなは徹さんなんかは、この決まった「分散和音」的な定番フレーズを何度も練習したらいいよ!みたいなことをよく言っておられるようで。
この定番フレーズをメロディにあわせてずらしてゆけば、ジブリ映画なんかでおなじみ久石譲さんが専門としている「ミニマルミュージック」になってゆきます。
ゴジラのテーマなんかもそうですな。ちゃららんちゃららんちゃららららららららんの繰り返し。
カチャーシーも、まったくもってミニマルです。
こういうことを追求してゆくと、あたらしい表現が生まれるし、実はそれが古典や古いものと本質でつながってくることが見えてくるから面白いのです。
ふるきをたずねて あたらしきを知る
ふるきをたずねて終わりでは、伝統は廃れて当たり前です。
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