(写真は、拙作・紙三線のヘッド)
さてみなさんこんにちは
ワタクシ左大文字も、邦楽やら和楽器やらに関わって、早いもので25年近くが経とうとしているのですが、このマイナーな業界は、毎度まいどのことながら、
衰退
という危機に直面しています(爆)
まあ、私が三味線を弾き始めた18歳の頃から、すでに、和楽器に興味を持つなんて
「なんて変わった子だろう」
ということで、実家のおばあちゃんやら親戚がこぞって
「うちの蔵で埋没している三味線をあげるわ」
とこぞってプレゼントしてくれたくらい、すでに邦楽に親しむ人は、激減していたのでありますから、近年になるといっそうひどい状態になっていることは察しがつくというもの。
最近でこそ、ちょっとだけ「和楽器バンド」が注目されたりして、和楽器や邦楽に対して、ほんの少しだけ機運が盛り上がったりもするのですが、
おそらく大勢には影響がない
といっても過言ではないでしょう(笑)
そうかと言って、じゃあ日本の方々は邦楽やら和楽器に興味がないのかといえば、そんなことはなく、沖縄の三線がブームになったり最盛期には
年間3万棹の三線が売れ
たりしたわけで、そりゃ毎年3万人が新たに流入するジャンルだというのなら、それは見過ごせないぞ!捨てたもんじゃない!となりそうなものなのですが、実態はそうはいきません。
で、ここで邦楽を取り巻く不都合な真実をちょっと述べちゃったりすると、この業界が抱えている根源的な問題が、なんとなく見えてくるわけです。
それは、どういうことか、と言えば、私はどちらかといえば既に邦楽三味線より沖縄三味線のほうが主軸になっているので、そちらで説明すると
<真実1>
三線が売れるのは夏である。
<真実2>
涙そうそうがヒットしたら、三線が売れる。
その後、右肩下がりで衰退。
海の声がヒットしたら、三線がまた売れ始める。
みたいなことが事実だったりするわけです。
これは、和楽器や邦楽器や、伝統文化を守っておられる方々にとっては、
大変に不都合な真実
で、
『沖縄三線は、夏というイメージや季節商売であり、ヒット曲があるから楽器が売れているだけなんだ』
という
実は、和とか邦楽とか伝統とか、文化とか、そういうのじゃない
ということが如実になると、関係者一同
ガクッ
とうなだれざるを得ないわけだったりするのです。
面白いエピソードがあって、うちの会社の40代の社長はお父さんが豪快な人だったので、一時期
「お前も三味線ぐらい習っとけ」
と言われて、かじったことがあるそうなんですが、その理由というのが凄くて
「三味線が弾けたら芸者にモテるから」
ということだったらしいのです。なんという帝王学(笑)
そりゃ、お父さんの時代には、そこらへんの温泉に行ってもまだ芸者文化が残っていたかもしれませんが、息子の代にはとうに消えてますがな。
女性の場合もこれを笑っていられなくて、私の知り合いに大学で箏曲を教えておられる方がいるのですが、彼女曰く、
「女の子は嫁入り前のたしなみとしてお花とお琴(というわけで三曲なので、三味線も習う)ぐらいは、というのが昔は当たり前だったけど、今は完全に廃れたわ」
ということなのです。
芸者と嫁入り道具、言ってることはおなじですね。
(紙三線の胴からおしりにかけて)
というわけで、和楽器・邦楽業界がえらいことになるのも当然なのですが、起死回生の一発は
私はある!
と思っています。
ハードについては、特に三味線なんかは面白い簡易三味線が出てきたり、沖縄のASOVIVAさんなんかが革新的なモデルもどんどん出しているし、ここ近年で
「やっと面白くなってきたな〜」
と思ってるんですが、 お琴はなかなかいいのが出ませんが、プラ尺八とか、めっちゃ面白いんです。
足りないのは、さっきの「涙そうそう」と「海の声」じゃないですが、もうズバリ答えは出ているんです。
ソフト、ソフトがあれば、あとはいける!!!
はず。
三味線を弾きたい!箏を弾いてみたい!尺八を吹きたい!月琴を弾いてみたい!
そう思えるようなソフト(楽曲)が出てくることが、業界を支えるマストなんですね。
で、そういうのは誰かが出してくれるのを待っていても絶対に出てきません。
こっちから討ち死に覚悟でもいいから仕掛けないとだめだと思います。
まあ、左大文字は、すでに伝統文化から流浪して、こんなことになっているのですが、ソフトウエアとしてのコード弾きには、まだまだ隠れたパワーがあるのではないかな、と思っています。
邦楽・和楽器関係者のみなさま。ぜひそんなこんなで、今度はソフトの領域を盛り上げていきましょー!!!